「先生には人の気持ちがわからない人が多い 教員心理学①」の巻
教師になるには、一応、心理学も勉強します。
しかし、心理学と言うのは、意外と曖昧な学問なので、それを勉強したからといって、即、教育に生かされるわけではありません。あくまでも参考分野の一つです。
生徒指導でも学習指導でも、人にモノを教えるというときは、人の気持ちがわかった上で、その上をいかないと指導はできません。
人の気持ちがわかるというのは、感情的な話ではなく、その仕組みのことで、以前のブログでテーマにもしましたが、僕の提唱する道徳教育「行動学」のことです。
これは、教師の資質をして重要な能力なのですが、なぜか教員採用試験では、そこが篩にかかりません。その結果、人の気持ちの仕組みがわからない先生が、子どもの教育をすることで、大変なことになってしまっているのです。
学校教育では児童心理などと、子どもの心ばかりテーマにしがちですが、学校現場には、児童、生徒のほかにも指導に関係している人間がいます。
そうです。先生です。
学校の先生になるには、ホントは、教師自身の心理についても勉強しておく必要があります。それは、教師としての自分の心理についてもですし、隣で采配を振っている同僚の先生の心理についてもです。
ここで、ある教員同士の座談会に出席した時の話をしませう。
生徒指導の話題になった時に、周りにいた先生の指導力をちょっと測ってみようかなと、僕も最近あった生徒指導事例を挙げてみました。
それは、隣のクラスの子から、いじめ相談を受けた話です。
ある日、隣のクラスのAさんからいじめの相談を受けたので、詳しく内容を聞いた後、
「担任の先生には相談したの?」
と聞くと、していないということだったので、
「まず、(担任の)B先生に相談してみなさい。」
と、一度、自分の担任に相談するように促しました。
その座談会で僕の話を聞いていた先生の一人が、そこまで聞いたところで、こう言いました。
「その対応は間違っている。その子は勇気を出してあなたに助けを求めているのだから、あなたが責任を持って解決してあげないと。」
まあ、予想通りの意見です。
さて、あなたが、僕の立場なら、どう対応するでしょうか。
ここに、教員心理学というものが必要になってくるのです。
この初期対応を「ダメだ」と言った先生は、おそらく、このいじめ問題を、そのAさんの問題としか捉えていないのでしょう。
確かに、Aさんだけを見て考えると、この対応は、その子の教師への不信感を増幅しかねない愚策に見えるかもしれません。しかし、そこで僕が隣のクラスに乗り込んでいって解決したらどうなるのか。指導者としては、そこを考えないといけないのです。
「なぜ、その子は、自分の担任ではなく、僕のところに相談にきたのか。」
そして、
「なぜ、僕は、その子に、まず担任の先生に相談するように言ったのか。」
これが、座談会でわざわざ、この話をした最大の理由なのですが、その場にいた人にその意図を理解できる人はいませんでした。
残念な話です。
生徒指導は、対象となる子だけでなく、その子を取り巻く環境と置かれた立場、それにプラスして、さまざまな人の思考が作用していることを理解した上で、指導した後のそれらの変化をも考慮して行わなければなりません。
・・・と、毎回のことですが、字数をかなり超過してしまっているので、今回はこのあたりで。
「担任に相談するように促した意図」については、次回のブログに「つづく」とさせていただきます。
それでは、今日も良い一日に。