「勉強ができるできないの鍵は『国語』と言う噂」の巻
学校の勉強で一番難しいのは数学?
教科教育の中で、一番難しいのは数学だと思っている人は多いと思います。
以前、理系と文系の違いは、理系か理系でないかという話をしましたが、高等教育で子どもたちが行き詰まる教科で、数学が多いのは事実です。
これは、暗記教科か思考教科かということが大きな理由でしょうが、よくよく考えると、中学レベルだと数学もまた暗記教科に近いと言えます。ただ、算数は暗記教科ではありません。
数学と算数は違います
ここで、「?」となった人も多いかと思いますが、数学と算数は、義務教育レベルにおいては、本来は似て非なる教科です。
今回は、国語がテーマなので、その辺りの詳しい話はまたの機会にしますが、僕は、算数が教科教育の中では一番大事な教科で、算数の出来不出来が勉強の出来不出来に大きく関わっていると考えています。
しかし、教育関係者の間では、一番大事な教科は国語ではないのかという声も多いのです。
あなたは日本語わかりますか?
僕は、教員を辞めてから、主に中学生相手に個別で学習指導もしているのですが、国語の出来が他の教科に大きく影響しうることを実感しています。
国語がなぜ大事なのか。
まず、教科書は全て日本語で書かれているので、その中身を理解できない。
さらに、問題の解答、解説が理解できない。
よもすると、問題そのものの意味がわからない、または意味をきちんと読み取れないなんてことにもなっています。
そりゃそうでしょうという答えですが、それにもかかわらず、国語教育は自覚症状なく迷走中です。
毎日の生活できちんとした日本語を使っていたら、国語は勉強をしなくてもいいと、学生の頃は思っていましたが、学校現場でもそんな感じです。
しかし、今の世の中、説明書や規約などの読めない大人の多いこと多いこと。
だから、知ってる人は知っているのです。
国語が大事な教科であることを。
今日のまとめ
時代を問わず、若者を中心に言葉は乱れます。
それを良しととらえるのは個人の自由ですが、社会的にはそれを良しとはできない理由があります。
世の中のルールは国文法に基づいて表記されているため、人々の理解が共通でないと社会が混乱します。
そのためにも、国語の共通理解は社会では不可欠です。
また、言語は思考の根幹を担っているとも言えますので、正常な思考能力を持った社会人を育てるためにも、学校で言語としてきちんと教える必要もあります。
勉強に関してもまた然りです。
しかし、学校では国語がきちんと教えられていない・・・その辺りは、またの機会に。