「大人になっても文章力の乏しい人が多いのはなぜ?」の巻
みなさんはラジオを聴きますか。
僕は、ラジオはほとんど聴かないのですが、あえて聴く番組が一つだけあります。
その番組の好きなところは、パーソナリティーがリスナーのボロさを愛を持ってディスるところで、メッセージの内容をいじるだけでなく、そのメッセージの文章自体が下手だとディスる時もあり、「そうだそうだ」と共感している今日この頃です。
学校で作文指導をしていると、高学年でも文章のうまい子を探すのが難しいクラスがあります。もちろん、センスの有る無しはあるので、ほっておいても書ける子もいるのでしょうが、やはり、きちんとした指導が必要です。
作文用紙の使い方も、今の子どもたちは、知らない子が多いようです。中にはどうでもいいルールもありますが、それも含め、基本のルールは教えるべきです。
夏休みに、読書感想文の宿題が出ることもあると思いますが、書いているのは本人ではなく、保護者だったり、担任の先生だったりします。特にひどいなと思ったのは、担任の先生がパソコンで文章を書き換えて、子どもに清書もささずに、プリントアウトしたものをコンテストに出して、なんと受賞。本人が受賞した自分の作文の内容を知らないなんてこともあるんです。
とりあえず、本人に直しをさせ、自分の作品として出品することは、必要最低限のことだと思うのは僕だけでしょうか。
僕は、作文指導をする場合は、赤ペンを入れながら、2回は書き直しをさせ、最後に丁寧な字で清書をさせます。時間がないという先生もいるかもしれませんが、なければ作ります。学年によっては、日記指導などで、普段から簡単な文章が書けるように訓練したりもします。
人数の多いクラスだと、全員のチェックは難しいことですが、物語文を読んで、情操教育みたいな意味のない国語の授業をしてるくらいなら、作文指導の時間をもっと増やした方が、子どもたちの将来のためにはなるでしょう。作文は、コミュニケーションの大事なツールの一つですから。
遠まわしに、国語科をディスって、このあたりで失礼します。