かぐらいっきょうの『ここが変だよ日本の教育』

日本の社会や教育で疑問に感じていることをちょこっと書いたブログ

「背の順は差別だと言っている教員がいる問題」の巻

「差別」という言葉の自分勝手遣い

 

社会における差別について、教育の場で話す時に、私は常に前提にしていることがあります。

それは、

・差別と区別の違いを明確にすること

・差別がないというのは、利害を伴う社会的機会の上で区別を口にしない(持ち込まない)こと

です。

 

特に一番目の、差別と区別をあまり考えずに、すぐに「差別だ」「差別だ」という言葉を遣う人がいますが、その発言は問題提起のために使用されているのではなく、大方、自己主張のために使われているのが悩ましい所です。

 

さらにその発言が、結局、差別を作り出す、もしくは助長している可能性があることに全く気付いていないことも、残念なことです。

 

「背の順の整列は差別だ」なんて素人的な発想は、まさにその一端と言えます。

 

このことを言っているのが一般の人であればまあまあとたしなめる程度で終わりですが、どうも一教員がいっているそうなので、テーマとして取り上げてみます。

 

 

 

「背の順は差別だ」という教員がいる問題

 

「背の順は差別だ」なんていうワードは、面白いと言えば面白い。

 

まあ、それで私も今回、ネタにさせてもらっているのですが、ただ、そのワードに反応したのではなく、その奥底に、今の学校の問題が潜んでいるので、取り上げてみました。

 

要は、このような幼稚臭い発想をしている教員が学校に存在すること、そのことが問題だということです。

 

もちろん、今の日本社会は、そういう話題が好きですし、そういう流れの中で教育が変な方向に行っているのも事実ですが、教育の分野においては、逆にそういう流れに警鐘をならしていかなくてはと思うわけです。

 

 

さて、この発想に至る問題点は、二点あります。

 

一つは、背の順で並ばせるのは、様々な教育上の理由があるということを、「この教員は知っているのか」ということです。教育の専門家である教員が、単純に前が見やすいから、なんてことで考えているのでは困ります。

 

もう一つは、個々の違いをお互いに認め合う社会を作るのが教育の役割です。その役人である教員が「差別思想をあえて作り出している」というのも困ったものです。

 

 

まず、「なぜ背の順に並ばせるのか」ということを、この教員は深く考えたことはないのでしょうか。もしくは誰かから教えてもらっていないのでしょうか。

 

背の順と言うのは、当たり前ですが、低い順と高い順があります。

今までの経験上、運動会(体育祭)で高い順というのはありますが、他で高い順は見たことがありません。

 

まあ、基本的に学校で並ぶ場合は低い順ですね。

これには、教育上&安全管理上の理由があります。

 

整列と言うのは、教育分野で言うと、集団行動になります。

子どもたちには安全についても指導も行います。自分たちの命にも関係しているということです。

 

教員たるもの、このことを理解していて当然ですが、この発想にはその意が全く見えません。

 

先ほども述べましたが、ただ単に前が見やすいからなんて、素人みたいな考え方では困るのです。

 

「教育における整列の重要性」というテーマで講義をしてくれといわれたら、私は最低でも2時間は語れます。

それぐらい重要なことなのです。

 

 

何でもかんでも差別と言いたがる人

 

すぐに差別だと言いたがる人がいますが、教育の世界では、かなり慎重に使わなくてはなりません。いや、できれば使わない方がいいとされています。

 

今回も、簡単に使用されていますが、教育に携わるものであれば、言葉の持つプレッシャーをもっと考えて発信してほしいものです。

 

 

そもそも、身長の低い高いが、なぜ差別なのでしょうか。

 

私は幼少期から身長が低く、整列すれば、いつも一番前か二番目だったのだが、身長に関して、今までに何か不当な扱いを受けたり、不利益を被った経験はありません。

 

あえて言うなら、昔、フランスに行ったときに、公衆便所で男性用便器の位置が高すぎて、用を足すのに苦労したぐらい・・・ですかね。子供用を使いましたが。

 

身長を含め、身体的特徴における悪口などはあったかもしれませんが、これは差別ではなく、いじめの部類です。

 

ニュース的な話題で、身長に関しての問題で思いつくのは、キャビンアテンダントやお相撲さんの身長制限の話でしょうか。

 

ただ、これを差別だと言い出すと、男女、年齢、能力、はたまた外見など、全てが差別なんて言い出してきりがありません。

 

仕事については、適材適所による求人という観点に立ってということが前提ではありますが、その特性上、募集要項にも制限があって然りだと、私は思っています。

 

 

差別とは、最初にも記述した通り、区別により、利害に差が生じた場合の概念であり、個人的なメンタルにダメージを受けた受けないは別の話です。

 

もし、身体的な特徴で嫌な思いをするのであれば、それは差別ではなく、いじめの方の問題であり、そういったことをいじらないことを道徳で教えるのが学校教育でしょう。

 

私にとって、背の順に並ぶことが良い悪いの問題よりも、「なぜそうしているのか。」を深く考えない教員がいること、そして、その教員を、教育を知らない人たちが、持ち上げること自体を問題視しています。

 

 

「背の順に整列する」理由をちゃんと子供たちに教えられる教員が必要

 

教育現場の行っていることには、理(ことわり)があることが多いが、それを知らない&考えない教員の多いこと、多いこと。そして、理なきこともたくさんあるのに、それを変えようとしない教員の多いこと、多いこと。

 

今回も話題も、結局、そこに尽きるのです。

もちろん、背の順は、理がある方ですよ。

 

なにかの問題を問う場合は、その前の理由から考えるは当たり前です。

 

世の先生方は、平べったい教科書の勉強をするのではなく、もっとその奥にある概念の勉強をしてほしいと思います。

 

物ごとには全て理があり、それを教えるのが、学校教育です。

それを考えれない教員は、もともと「教員の資質」がないのです。

 

この資質なしの教員が多いのが、この国の教育の問題なのです。

 

嫌な思いをしている子がいるからシステムを変えるなんて言いだしたら、みんな言いたい放題で、学校はぐじゃぐじゃです。

 

「背の順に並ぶ」ことの「重要性」がわかる教員が、この日本にたくさんいることを切に願う、今日この頃である。

 

 

 

「まだワクチン、ワクチンと言い続けている賢そうに見える人たち」の巻

賢い賢くないは、問題を解ける解けないではない

 

よく学校のテストでいい点を採る人を頭のいい人と思っている人がいますが、まずそう思っている人は、残念ながら頭がいい人ではありません。学校のテストは、ただの学習の確認にしかすぎず、賢さを確かめるものではないのです。

 

では、頭がいい人とは、どんな人なのか。

それは、解答が間違っているかどうかを自ら判断できる人です。

正解のように見えて、間違っていることは、自分のテスト解答を含め、世の中にはたくさんあります。そのことに理由をもって気が付く人、それが頭のいい人と言えます。

 

最悪な人は、偉そうな人の言った話やメディア、ネット上の内容を、何も考えずに真に受けて、さらに信じきっている人です。

 

だから、未だに「ワクチン」「ワクチン」と言っている人は、マヌケとしかいいようがありません。

 

ウィズコロナの社会をこれから構築していくためには、各々が自分で最善を考え、感染防止行動をとることが必要です。

 

 

 

3回目、ホントに必要なのか

 

政府は、3回目のワクチン接種を早急に進めようとしていますが、はたしてホントに必要なのか。賢い人は良く考えてほしい。2回目までは、社会的には全く効果なしでした。(個人的には、かかった場合の重症化を防げたのかもしれませんが、それもデータがないので分かりません)

 

今回のオミクロン株における60歳未満の人の致死率は0%だそうです。今のところ亡くなっているのは高齢者ばかり。ほとんどの人がワクチンの2回接種を完了している人たちです。

 

この調子だと、3回目のワクチンを打っている間に、第6波はピークアウトし、また3回目も、2回目を同じで「何のために打ったのか。」になりそうです。

 

今までの波を、他国に比べて最小限に乗り越えてこられたのはなぜでしょうか。

どう分析しても、ワクチンのおかげではありませんよね。

それは、国民みんなが、個々に感染防止行動をとってきたからです。

 

第6波では、接種完了率が79%にも関わらず、これだけの感染者が出ています。

何時ぞやワクチンパスポートなんてものを使って経済を回そうとしていましたが、そんな免罪符を渡したら、特に若者の行動抑制意識の枷が外れて、大事になることは、イギリスのサッカー観戦の件などを見ても明らかです。

 

未だにワクチンがコロナの蔓延に効果があると思っている人がたくさんいますが、それが日本の教育の失敗で、今後の課題なのです。

 

ワクチンは、あくまでも重症化を防ぐ効果があるだけです。ただ、何度も言いますが、これも怪しい。特にデルタ株には効いてないような。

インフルエンザ予防接種を受けた人はわかるでしょう。打ってもかかるし、高熱も出ます。中には亡くなる方もいるのです。

 

 

 

世界の振り見て、我が振り直せ

 

なぜ、他の国の様子を見て、その考え方が間違っていることに気が付かないのでしょうか。

 

おそらくわかっている人もたくさんいるはずですが、大多数の国民が気が付かないように、マスコミが都合がいいデータしか流してないのです。いや、流せないと言っておきましょうか。いわゆる情報操作ですね。さすがは、報道の自由度ランキング67位の日本。どのテレビ局も同じことしかいいません。

 

先日も、ニュースで、「他の国はオミクロン株の感染もピークを迎えているが、日本はブースター接種(3回目)の接種率が2%強で少ないので、ピークアウトはまだまだかも。3回目の接種を早く進めていかないと。」なんて言ってました。大笑いです。

このコメンテーターは、何を言っているのだろうか。

 

韓国は、ブースター接種率50%以上の優等生。しかし、感染の現状を見てほしい。どうですか?

韓国の感染者数、おとといは、1日2万7000人です。人口比2.4倍の日本に換算して、1日6万5000人です。おそロシア。まだまだ増えそうな様子です。

 

逆に、オミクロンが最初に見つかった南アフリカは、ワクチン接種完了(2回接種)たったの28%ほど。ブースター接種なんてしていない。それなのに、日本より早い3週間でピークアウトしているというこの現実。

 

テレビでコメントしている人たちは、なぜ、他国の状況から学ぼうとしないのでしょうか。真実を見ようとしないのでしょうか。おそらく求められたコメントをしないと出演できなくなるのでしょうね。

 

何か困るとすぐに言うのは、「日本と各国は様々な環境が違いますから一概には比べられません。」都合がいい所は、すぐに比べるじゃん。

 

発展途上国は集団免疫が・・・」なんてコメンテーターもいるが、例えば、先ほど挙げた南アフリカでは、感染者の累計が370万人ぐらいかな。では日本はというと、日本も310万人ぐらいです。人口比は2倍ですから日本の人口に直すと740万人ほど。人数からいって、集団免疫には程遠い数字です。

 

ワクチンの効果については、製薬会社のデータなんかみるより、世界各国の実際の数字から考察するのが、一番、正解に近づける方法と言えるのです。

 

 

 

「専門家」という嘘に騙されるな

 

よくマスコミで、「専門家の見解は」なんて聞いている場面を見るが、よく考えてみてほしい。

実は、この新型コロナに専門家はいないのです。

 

なぜなら、誰にもわからないのが、今回の新型コロナウイルスです。

医者だから専門家だと思っている人は大間違いです。

逆に医者だからこそ、偏った見方しかできていないように思えます。

 

あえて、僕がこの新型コロナの専門家を選ぶとしたら、医療関係に全く利害関係のないデータ分析の専門家にしますね。なぜかは、今までのブログを読んでくださってる人なら、わかりますよね。

 

今回の新型コロナウイルスに関しては、全くの未知のウイルスであり、まさかこんな世の中になるとは、誰にもわかりませんでした。さらに第1波から今の第6波まで、人知では何もできることはなく、ただ、行動を抑制するしか方法はなかったのです。

 

さらに、この後、世界でどんな風になるか、日本では第6波がいつ終わり、第7波がさらに来るのか、この6波で終わるのかも神のみぞ知る状態です。

 

何が専門家だ。

結局、何にもわからないくせに、ただ「ワクチンを早く打たないと」しか言わない。

そんなこと、専門家じゃなくてもコメントできるわ。

 

政治も、何かしら成果を見せないといけないので、「ワクチン」「ワクチン」とほざいているが、そもそも日本は、国際社会でワクチン確保に出遅れ、打ち始めが遅れ、第5波までワクチンに頼ることなく終息をしている。

それでも「ワクチンの効果」をどうにかアピールしたい一心で、「重症化しにくい」に落ち着くも、これも海外の状況を分析すると、あまり信憑性はありません。

 

世界で最もワクチンを早く打っているイスラエルなんかは、「あまり効果が見られないので、3回目は打たない」とコメントしている人もいました。

 

ワクチンについては、オミクロン用のワクチンができるらしい。

と言うことは、今のワクチンでは役不足ということを言ってしまってますね。

製薬会社は、とにかくこのコロナワクチンは儲かるので、うたい文句に踊らされてはいけません。

 

研究結果なんかもいろいろ紹介されてますが、これも信じるに能わないものですので注意が必要です。全く利害関係のない第3者が検証しているならまだしも、そんなわけはないので間違いなく信憑性は低いといえます。

 

「専門家はいない」というのは、アメリカやEU各国、中国や、ロシア、日本もが、第一人者と呼ばれる人たちを集めても、正解を導き出せずにいます。そして、各国はあきらめて、マスクを外し、経済優先に舵を切りだしているのです。

 

日本においては、第5波の終息の理由すらわからず仕舞い・・・・いや、なぜ終息したかは、ホントはわかっているのだが、それを認められない裏事情があるようです。

 

 

 

正解は教えてもらうことではなく、自分で見つけるもの

 

なぜ、第5波が終息したのかは、実はわかっているのだが、それを認めると「ワクチン」「ワクチン」と言ってきた自分たちの立場がないので言わないだけ。

 

単刀直入に言うと、「行動変容」が正解です。

 

日本人は、何かと数字に弱い。

感染者数が毎日発表され、「これはまずいんじゃないか」となると、リスク回避に移行するのである。

 

例えば、マンボウの出ていない県より、出ている県が多くなっているのは、結局のところ、国や県の対策ではなく、個人個人が気を付けているからに他ならない。

 

僕の近所も、クルマも人も明らかに減っている。お店をやっている知人は、今週は全く客が来ないと嘆いていました。そんなもんです。

要はこの急激に増えている数字が、人々の行動を制御しているのであります。

 

 

日本の教育は、詰め込み教育と言われて久しい。

僕は詰め込み教育が悪いとは言わない。

その知識を、活用できるところまで引き上げない教育課程に問題があるのです。

 

これだけの情報社会になって、その情報の真実を自ら導き出せない国民ばかりになると、プロパガンダに正義を見いだせなくなる可能性が現に出てきています。

それを危惧しているのです。

 

学校のテストも、正解を導き出すような形式の問題ではなく、間違いを論理的に見つけ出すような問題を解かせることが、ホントは必要なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「オミクロンに効かない?いやいやワクチンは端っからそんなに効いてない?」の巻

ワクチン接種を神話化する不思議な国、ニッポン

 

「不思議な国、ニッポン」そんな本を学生時代に読んだことがあります。確か、フランス人が作者だったと思います。

外国人からみたら、未だにワクチンでコロナを抑えられるなんて思っている人の多いこの国は一体何なのだろうかと、不思議に思うでしょうね。

 

ワクチンを打ってもかかった人には、「1回ではだめ、2回打たないと・・・」と言い、2回打った人がコロナにかかると、「ブレイクスルー感染だ。」「免疫力が落ちている。3回目を早く打たないと・・・」そうなんだって。

さらに次の変異株には、これまでに打ったワクチンは効かないかもしれない、なんていっている始末だ。

 

そんな感じで、どんどん税金を使いまくる政府。

どこぞの製薬会社の回し者に振り回されているのではないとは思いますが、経済を回す免罪符にしたいのが見え見えで、その効果などはどうでもいいのでしょう。

 

だから、ワクチン接種に対するリスクについては、全くもって説明も報道もされない。このことにも、誰も何も言いません。

 

ある県では、コロナで亡くなった人が5人しかいないのに、ワクチン接種後は、なんと9人もの人が亡くなっているという衝撃事実。僕の住む自治体でも、ある月では、コロナで亡くなった2人が、2人ともワクチン接種をしていたという、これまた衝撃ニュース。

 

コロナに日々振り回されて早2年。

未だに、僕の周りでコロナにかかったという人は一人もいません。そんな田舎でもワクチンを打たないといけないのか疑問です。

都会では仕方ないとして、田舎でワクチンを打って亡くなった人はホントに哀れです。打たなかったら死ななかっただろう確率の方が高いのですから。

 

みんな打っているけれど、その恩恵を受けている人がどれだけいるのでしょうか。

多少の安心感と、かかった時の言い訳ぐらいでしょうか。

「2回打っているのにかかったのだから仕方ないよね。」

 

第5波の急激な減少も、日本の今のこの落ち着いた状況も、ワクチンの効果ではないことは、専門家も認めています。

 

 

 

ワクチンを打ちまくっている韓国は過去最高数

 

お隣、韓国は、日本より高い接種率80%越え。しかし、感染者数は、過去最高を更新し、ワクチンを打てば重症は防げるなんていっていたことまでも否定しています。死者数も増加傾向。

 

ドイツも70%を超えているのに、日によっては1日7万6千人近く。死者350人ほど。

日本の人口はドイツの1.5倍なので、日本計算で、一日11万4千人。死者525人ほどになります。これらを見ても、ワクチンが万能だといえる人がいるのでしょうか。

 

と思っていたら、マスコミは相変わらず、ワクチンの効果には疑問を問いかけず、何か他に問題があるのではないかと探しています。

やはり、政府に忖度しているのでしょうかね。

日本の世界報道自由度ランキングは、67位ですからね。(2021年)

 

「コロナにかかっている人は、ワクチンを打っていない人だ。」なんて嘘も、もはや信じている人は少ないのではないでしょうか。

 

自治体によっては、そのあたりの情報も出しているところはあって、福祉施設クラスターが起きた時も、「この福祉施設では、全員が2回のワクチンを接種していました。」と言っていました。これは、施設の人たちが世論に攻撃されないように、説明したことだとは思いますが、「ワクチン打ってても人にうつすんだ。」ということは、この時点(かなり前のニュースです)で、はっきりしていたのです。

 

さて、その他の国も見てみましょうか。

 

シンガポールは、ある月に1日5,000人近く感染者、死者10人程度が出ていましたが、その時のワクチン接種率は、なんと84%。シンガポールは、人口が日本の22分の1ぐらいなので、日本の人口で計算すると、こちらも一日の感染者は11万人、死者は220人になります。

 

イスラエルは、早い段階でワクチン接種率が高かった国ですが、ここも感染者は抑えられず、なんと3回目(ブースター接種)を受けた人もコロナ感染者の10%も占めている状態。4回目も必要・・・なんて言っている。スペインもだめ、イタリアもだめ。

 

僕は、ワクチンの効果は、そこそこだと思っているが、だれもかれも、ワクチンが相当効いていると思っているので、根拠のない数字や、根拠のないうたい文句も信じてしまっています。

 

文書を平気で改ざんしたり、数字が気に入らないと官僚に突き返したりするような政府の出す情報を未だに信用している人は、ホントにおめでたいものだと思います。このような人がいなくならない限り、日本で詐欺にひかかる人も、いなくならないのでしょう。

 

 

 

なぜ、日本にはワクチン接種の効果に異議を唱える人がいないのか

 

ここで言っておかないといけないのは、ワクチン接種については、多少の効果はあると考えられるということと、接種するしないは自由ですので、そのことをどうこう言っているのではありません。

 

痛い思いをしてもそこそこの効果であり、その効果も半年たったらほとんどなくなり、死ぬ可能性も0でない、という代物を、未だに絶大な効果を持っているものだと思って打っている国民の認識を正す人が誰もいないことを問題視しているのです。

 

では、なぜ、効果はそこそこだと、大声で言わない、いや、言えないのか。

海外では、ワクチンを打たない人のデモも起きていますし、ワクチンの効果を疑問視している人も声を上げているでしょう。日本では、それがないのです。なぜでしょう。

 

その理由は、2つあります。

 

1つは、同調圧力が強いからです。

ノーベル賞を取られた真鍋淑郎さんも言われていましたね。同調圧力。言ってない?

高齢者は特にみんな打たないといけないみたいな風潮が強すぎて、70歳以上だと90%を超えています。さらにこの数字を強調させて報道し、残りの人にも打たないといけないと思わせているのです。自由だと言いながら恐ろしや。

 

もう1つは、物事に疑問を持たない国民ばかりの国だからです。

ふつうは、「ホントに効くのかな」とか「打ったあと危険はないのかな」とか、思いますよね。しかし、何にも考えずに打っている人の多いこと多いこと。最悪は、車が当たるからといって打っている若者と、それで接種率が上がったとどや顔している知事です。そんな人が選挙に行っていると思うと恐ろしい限りです。(前回のブログに絡めて)

 

もちろん、そう頭では思っていても、周りからの打たないといけないプレッシャーで打った人もいるでしょう。

現に僕の周りにも、「職業柄打ったけど、そうでなかったら打たない。」という人は沢山います。

 

 

なぜか、マスコミは、コロナのコメンテーターに医療関係者を選びますが、医者の場合、どうしても「警戒しろ」「ワクチンを打て」と、自分たちの立場からのコメントになります。本来は、統計学の専門家が、コメンテーターとしては、最適なはずですが。

 

 

 

ワクチン接種から考える日本の教育

 

僕が教師をしていたころに、「教師の達人」と呼ばれる先生の講演会があって、知り合いの先生が参加するというので付いていってみると、会場では、みんな真剣に話を聞き、メモを取る人もいたりして、さすがは先生たちの集まりだなと、あくびをしながら僕も寝ないように頑張って話を聞いていたのでした。

 

後半、僕の眠気が飛んだのは、その講師の先生が考えだしたという「幸せの方程式」というのを自信をもって解説しだしたときでした。なぜ、目が覚めたかというと、なんと、その方程式は、式として成り立たっていなかったからです。

しかし、その達人は、どや顔で解説をし、聴衆たちも「すばらしい」と絶賛。おいおい、その方程式、間違ってますよー。

 

終わってから、数人の参加者にそのことをどう思うか尋ねてみると、全員が「へえ。成り立たないんだ。ホントだ。」と驚いていました。

驚いているのは、こっちである。

 

達人と呼ばれる人が言うと、何の疑問も持たずに信じ込んでしまう。これが、教師であってもそうなのです。おかしい、間違っていると思わない鈍感さ、思考力のなさ。唖然となりました。

 

ワクチン接種についても同じことが言えます。

 

お医者さんが言っているから本当だとか、分科会が言っているから本当だ、ましてや御上が言っているから・・・なんて、思っている国民を教育するのが、本来の公教育です。

根っこから腐っている今の日本の教育にこそ、ワクチンが必要です。

 

 

 

 

 

衆議院選挙から考える権利「投票に行くのはやめよう!」の巻

「投票に行こう」の間違いを学校で正そう

 

選挙権というのは、「権利」であり、「義務」ではありません。

 

「投票に行こう」とうるさく言っていることに疑問を感じない人は、そのあたりがよくわかっていない人です。行くか行かないかは、国民一人一人の自由で、他人がどうこう言うことではありません。

 

これが、今、学校では間違って教えられています。選挙は行かないといけない「義務」みたいな感じで教えるのです。

 

さらに先生間では、選挙ハラスメントもあります。

「選挙になぜ行かないの?先生なら行くのは当然でしょ。」

そんな雰囲気が選挙期間中には蔓延します。

 

選挙というのは、政治に意見したかったら行けばいいし、別に興味がなければ行かなくてもいいのです。権利ですから。そう学校でも教えるのが当たり前です。

 

逆に義務教育は、義務です。でも学校に行かない子に「行きなさい」と言わない親、大人。投票に行けというより、学校に行けという方が大事です。教育を受けさせる義務がありますから。(子どもにとって教育は権利だという人がいますがそれも誤った考え方です。これはまた別の機会に。)

 

この権利と義務の違いをわかっていない人が多いのです。

これは、学校で教えている先生も分かっていないのだから、生徒も理解できず社会人になってしまいます。

 

「選挙なんて行かなくていいよ。」なんて、口が裂けても言えない所。それが日本の学校です。

 

 

 

投票率が低い理由は2つある

 

選挙になると必ず投票率が話題になりますが、投票率を上げたい理由がわかりません。

 

投票に行かない人の理由については、大きく2つ挙げられます。

一つは、政治に興味がないこと。

もう一つは、現状に大きな不満がないことです。

 

僕は50年近く生きていますが、政治によって生活が大きく変わったことはありません。

あえて言えば、政府の財政の愚かさで、消費税が10%になってしまい、1万円の物に、1万1千円払わなくてはいけなくなったことがマイナスでしょうか。昔なら、その1千円で別の物が買えたのでしょうから。

 

今回の選挙結果でも、今の生活が変わることは、おそらくありませんが、生活には概ね満足しているので、誰が政治家になろうと、どうでもいいことなのです。当選してほしくない政治家はいましたが、うちの選挙区ではないので、どうしようもありません。

 

そう。社会を変えてほしいと思っている人以外は、わざわざ選挙なんて行かなくてもいいのです。

「#わたしも投票します」なんて言ってますが、よっぽど暇な人か、何かもらっている人でないと、顔まで出して言わないでしょうね。

 

「与党?野党って何?わかんな~い。」なんて言ってる若者が、テレビのインタビューを受けていましたが、そんな若者に投票にいってほしいですか。その人の一票が、もし社会を変えるとすると、こんな恐ろしいことはありません。

 

無責任な一票を入れることは、投票に行かないことよりも日本のためにならないことを、いい大人たちはそろそろ気づいてほしいものです。

 

 

 

与党がやっぱり勝っちゃう惰性で進む日本

 

巨額の借金を作る悪政をしても、大うそつきの総理大臣がいても、政治とカネの問題が起こっても、公文書の改ざんが行われても、相変わらず与党が勝ってしまう今回の選挙に、日本人の正義感のなさをあらためて感じています。

 

確かに、期待できる野党がないのも問題ですが、例えば、普通の人と、悪いことをする人しかいないのなら、どちらを政治家に選ぶべきかは、子どもにでもわかることではないでしょうか。

 

あと、比例代表制もおかしい。雰囲気で政党を選んでいる人の多いこと多いこと。

小選挙区で落ちて、比例で復活当選って、あなたは国民には選ばれてないのです。

 

ここで提案です。

比例代表制の枠を、国民推薦制にするのはどうでしょうか。

各自、政治家になってほしい人を、有名人を含め、自由に書いて、多い順にお願いしていき、国会議員になってもらうという制度です。

 

ネットを含め、物言うコメンテーターがたくさんいるので、その人たちに政治をしてもらえれば、今よりはましかなと思いますが。

 

あと、最高裁判所裁判官国民審査制度を、国会議員にも適用してほしいものです。

あの議員にはやめてほしいと思っても、選挙区が違ったり、比例代表とかで復活したり、ホントにこれが民主主義なのかと疑問が残るところです。

大統領制も面白そうですね。

 

 

 

日本人の考える力の乏しさは教育の問題

 

日本人の特徴は、判断力が乏しいことです。

考える力があまりありません。考える力とは、物事の理がわかる力のことです。

日本人は物事に疑問を持たない国民ということです。

 

「それのどこが悪い」と思ったあなた。

ほら。疑問に思っていないでしょ。

疑問に思わないのは、善悪や正否の正確な判断ができないということです。

 

子どもたちと日々接していて思うのは、「なぜ?」に対しての答えがすぐに返ってこないことです。さらにこれは教えている先生たちも同じです。なぜ、学校は必要なのか。だから学校は、今、おかしくなっているのです。

 

選挙にしてもそうです。

「投票に行きます」なんて言っている人のどれだけが、その立候補者のマニュフェストを確認しているでしょうか。

 

結局、付き合いとか、権力とか、有名とか、直感とか・・・そういったもので決めてはいないでしょうか。

 

「あなたは、なぜその人に投票したのですか?」

この問いに、社会性を踏まえて、きちんと答えられる人が、有権者過半数を超えるのなら、間違いなくこの国には良い未来が待っていることでしょう。

 

逆に言うと、気軽に投票する人を減らすことこそ、日本の政治をよくするのも間違いありません。

このキャンペーンを、国会もマスコミもやるべきですね。

「#安易に投票に行くのはやめましょう!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「またまたワクチンの数字が馬鹿歩き」の巻

ワクチンを打たせたい方々が必死

 

今や、政府は、コロナ対策に失敗し、こんなに流行ってしまったもんで、残すはワクチン接種でコロナがおさまってほしいと願って必死である。自治体は自治体で、接種率が高いと評価がもらえると思って必死。だから、テレビでは猫も杓子も、「ワクチンを打てばこんなに・・・」というのだが、その情報については半分はフェイクである。

 

そのフェイクの一つが集団免疫。

私は、初めからワクチンを武器に集団免疫を獲得することは無理だという考えだが、そのことが世界で証明されてきている。ワクチン先進国と言われたイスラエルをはじめ、イギリス、フランス、アメリカもコロナが再拡大しているのを皆がびっくりしているが、そんなに驚くことだろうか。

 

日本でも、ブレイクスルー感染は当たり前になってきている。(ブレイクスルーというの言い方も疑問。もともとの効果がそんなものではないかと思っている。)

 

その確率だが、あるテレビ番組では、コロナにかかった人の中でワクチンを打った人は3%ほどで、これをワクチンを打った人のコロナにかかる可能性に置き換えていた。そうなのか。

これは、ちょっと出てきた数字をいいように使われたもので、ワクチンを打った人のかかる可能性の数字ではない。

 

ある医療機関では、患者の3割がワクチン接種済みだというし、全員がワクチンを2回接種している福祉施設でもクラスターが起こっている。8月に亡くなった人の中で2回接種済みの人の割合が高い自治体もある。ワクチンを打たせないといけないので、あまり大きくは報道されていないようだが。

 

ワクチンを打てば、コロナにかからないというのも嘘で、無症状でウイルス保有しているなんてことは、ワクチンを打っていない人とも相違ない可能性も無きにしも非ずといいたところだ。

 

 

重症化しにくいはおそらく正解か

 

前回のブログでも書いたが、世の中のワクチンの理解はおかしい。

ワクチンを打ったからと言って感染しないわけではないのは、このワクチンの性格上、当たり前のことである。

 

それなのに、「ワクチンを打ったからかからない」とか「大切な人を守る」などと言っている人が多いこと、多いこと。ワクチンは他人を守るために打つのではなく、自分を守るために打つのである。個人がワクチンを打つ利点は、ただ一点、重症化しにくい可能性があるということだけである。あくまで可能性だが。

 

しかし、その効果も日に日に下がることも分かっていて、半年もすればまた打たないといけなくなるという代物だ。各国で3回目の接種が始まっていることがその証明である。

 

重症化しにくいはそうなのかもしれないが、これも怪しいのは怪しい。

 

世界で見ると、ワクチン接種率世界トップのUAEをはじめ、コロナ先進国は、軒並み死亡者が少ない。ただ、先ほど名前を挙げたイスラエルは、直近で一日に25人ほど亡くなっている。イスラエルの人口が930万ぐらいなことを考えて、日本の人口に照らし合わせてみると、一日300人ほど亡くなっていることとなり、「うーん?」ということとなる。

 

 

「ブレイクスルーは3%」の嘘

 

マスコミというのは、ホントに数字について、いい加減である。

先ほども挙げた「ブレイクスルー感染は3%ほど」だというこの数字は正確だと言えるのか。いや、言えない。

 

なぜかというと、打った人と打たなかった人の可能性を比べるのであれば、条件を一緒にしないといけない。例えば、打った人の割合が同じくらいの年代で、かかった人の割合の差を比べるといったことである。

 

音楽イベントに参加して酒盛りをする若者たちと、家でお茶を飲んでTVを見ている高齢者では、かかる可能性がまず違うのである。だから、ワクチン接種率の低い若者世代がたくさんかかっている今の状況で、ワクチンの効果を全体で検証するのは、ナンセンスであるとしかいいようがない。

 

「ワクチンの効果は85%~90%ある」昨日の報道番組で言っていた。

しかし、この効果がどんなものなのかという詳細説明はなかった。

どんな効果のことを言っているのだろうか。ウイルスを保有しないということなのか、発症しないということなのか、かかっても重症化しないということなのか、かかっても死亡しないということなのか。結局、わからずじまい。

 

しかし、何も考えてない人は、そんなに効果があるのなら打たないといけないとなる。その人に、効果の詳細を聞いてもおそらくよくわかっていない。

 

もちろん、これだけお偉いさんが、ワクチン、ワクチンといっているのだから、効果はあるのだろうが、過大評価は良くない。

過大評価がまるで真実かのように社会に蔓延しているので、すでにいろいろな場所でワクチンハラスメントが発生している。

 

副作用かどうかは検証されていないが、打った後数日以内に1100人以上の方が亡くなっていることも考えると、半ば強制的に打って、もしその方が亡くなった時にはどう責任を取るのか。打てない人、打ちたくない人のことも尊重することが大事である。

 

打つか打たないかは本人の自由で、効果と副作用を天秤にかけるだろうから、正確な情報をきちんと出す必要がある。都合のいい計算で嘘の数字は出してはいけない。

 

 

 

ワクチンには大きな利点が2つある

 

日本社会として、ワクチン接種を進める利点は、大きく2つある。

 

一つは、医療崩壊を回避できる可能性があるということである。

重症化を防げれば、医療機関の負担が減るからだ。

 

もう一つは、経済が回るということである。

おそらく政府の目的はこちらである。

 

ワクチンパスポートは、人々を安心して行動に移させるツールにはなるだろう。

日本人は、とにかく人に責められるのが嫌なので、ワクチンパスポートという免罪符をもらって、コロナにかかってもそのせいにしたいだけともいえる。まあ、それでもいいのかもしれない。

 

 

兎にも角にも、早く元の生活に戻れることを祈っている。

「ワクチンの嘘?ホント? 見分け方教えます」の巻

ワクチンのデマがなぜ出回るのか

 

一番の原因は、日本の教育の脆弱さです。

そもそも学校でワクチンとは何なのかを教えていないから、国民はみなその嘘に踊らされます。

 

踊らされている人が少数ならいいのですが、それがたくさんいるから嘘がデマになるのです。

 

最近、日本でもワクチン接種が進んできましたが、打っている人を含め、世の中の人が、ワクチンについての理解ができていないことに驚いています。

もちろん専門的なことは、僕も知りません。ただ、概要ぐらいは、理解した上で打ってほしいものです。

 

ワクチンというものは、そもそも体内に予め抗体を作ることを目的に打ちます。

知っていてほしいのは、シンプルにそれだけです。

 

それだけでもわかっていれば、世の中に蔓延しているデマの大半に騙されることもありません。

 

もう一つは、何かしらの副作用があるということです。

これは、ワクチンに限らず、人間の作り出した薬、すべてにあると考えていいでしょう。

 

ワクチンについての理解は以上です。

他は無視していいことばかりです。

 

 

 

 

ワクチンを打ったら万事OKの嘘

 

ワクチンについてのデマには、驚くような内容もあります。

例えば、マイクロチップを一緒に埋め込まれるとか。

そんなこと、誰が信じるの?と思いますが、そんな間抜けな人が実際に存在するそうです。

 

それはさておき、僕がデマについて気になっていることは、「ワクチンは人のために打つもの」と言いまわっている人が多いことです。

 

「対面の仕事なので、お客様に安心していただくために・・・」とか

「ワクチンを打ったので、周りの人にも迷惑をかけない・・・」とか。

それは、誤った認識です。騙されてはいけません。

 

ワクチンを打つのは、あくまでも自分がコロナにかかった時に重症化しないためです。

かからないためではありません。かかります。

 

だから、医療現場や福祉施設で半強制的にワクチンを打たせるのもナンセンスということです。

 

ワクチンを打ったら、コロナウイルスに感染しないなどという誤った情報をマスコミなどが報道していることも問題だと思いますが、それは、先ほど述べた「ワクチンというものは、そもそも体内に予め抗体を作ることを目的」ということを、ちゃんと理解していたら、それがデマだということは、誰にでもわかることです。

 

ワクチンを打てば万事OKと思っている人がなんと多いことか。正直ビックリです。

 

 

 

ワクチンを打ってもコロナウィルスは体の中に入ってくる

 

7月14日のニュースでは、イギリスの空母クイーン・エリザベスで、乗組員3700人のうち、100人がコロナに感染したとのことです。全員2回のワクチン接種済みなのにです。

 

ワクチンを打つのは、体に抗体を作るのが目的であって、体内に入ってくるコロナウイルスをシャットアウトできるわけではありません。だから、「ワクチンを打つことによって、周りの人にコロナをうつさなくなる」というのは嘘です。

 

それは、インフルエンザワクチンの例でもわかります。ワクチンを打ったからといって、かからないわけではないし、もちろん、人にもうつします。「ワクチンを打ったのに真っ先にかかってしまった」という人もたくさんいます。

 

打ったワクチンとかかったインフルエンザの型が違うなんて話もありますが、今回、コロナワクチンを打ったのに発症した人は、同じことをいいます。「変異ウイルスだ」なんてことを。オリンピックで来日したウガンダの選手がそんな感じでしたね。

 

もちろん、ワクチンの作り方や効果の違いもありますが、ワクチンの考え方としては、同じです。ワクチンは万能薬ではありませんし、コロナウイルスを滅するものでもありません。

 

ワクチンの効果は、ウイルスが体に入ってきたときのために、予備訓練を体にさせることであり、他人にうつす、うつさないは、ワクチン接種とは別の話です。

 

打った本人が重症化しないことは立証されてきているので、例えば、ワクチンを打った人同士なら、一緒に会食してコロナウイルスがうつっても、発病しにくかったりや重症化がしにくいことが言えます。行動の自由度は増すかもしれません。

 

自分の命を守るためには、やはりワクチンは打った方が得策とは思われます。

 

 

 

嘘を見分けるには教育が大事

 

この記事を読まれている方で、学校でワクチンについてきちんと習ったという方は、まずいないでしょう。

 

しかし、今後、コロナが落ち着いたとしても、これからの社会で感染症は大きな問題になっていくでしょうから、ワクチンなどの知識も、学校教育(保健教育)ではしていくべきです。

 

「ワクチンは体内に予め抗体を作ることを目的に打つ」

このことから、世の中に出回っている情報の正誤を判断するのです。

 

そこで大事なのは、ワクチンを打ったら病気にならないとか、人に病気をうつすことはないという迷信も間違っているということを、きちんと教えないといけません。

そうしないと、ワクチンを打っていない人が、ハラスメントを受けることにもなってきます。

 

ワクチンを打つ、打たないは、人の自由です。

打たない人は、重症化や死亡する確率が打った人より少し上がりますが、それは自己責任です。

 

逆にワクチンを打った人は、周りがワクチンを打っていようがいまいが、自分はリスクが低くなっているのだから、どんどんとやりたいことをやればいいだけです。

 

人は人、自分は自分です。

ワクチンを打った打たないで、周りの人と仲が悪くなるのはやめましょう。

 

 

情報社会で嘘を見抜くのは、「確かな知識」と「確かな思考力」です。

義務教育で、しっかりとその力を身につけさせることが大事です。

 

 

 

 

「9月入学にならなければ、日本の教育は終わり」の巻

変わらなきゃも変わらなきゃ

 日本で新型コロナウイルスが問題になり始めてから3か月ほど経ちました。

まだ、3か月なのか。

とても長く感じています。

 

活気のあった社会は大きく様変わりし、先行きの不安に世界中が困り果てています。

 

しかし、そのような中でも、子どもたちは元気です。

 

僕の住んでいる地域では、小・中・高校とも、分散登校が始まり、街中でも制服姿の学生が見られるようになり、僕の周りの子どもたちも、相変わらず明るく笑顔いっぱいです。

 

そんな笑顔に心も救われますが、この子たちの未来を、この笑顔を守っていくのは、私たち大人の使命です。

 

では、何をしていかないといけないのか。

一応、教育をテーマに書いているブログなので、教育について考えてみます。

 

たちまち、ICTを使った遠隔学習など、ハード面は変わっていきそうですが、本当に必要な改革は、ソフト面、何を教えるのかということです。

 

本来、公教育とは、自学自習(生きる力)を身につけること目的としていますが、そのような仕組みにはなっていません。

 

教育システム自体を大きく変えていき、子どもたちは、教科書(説明書)があれば、ある程度は自分たちで学んでいける力を身につけさせることが、これからの時代は必要だと言えます。

 

学校現場は、ずっと、「変わらなきゃ」と言い続けて、言い続けて、何も変わってこなかったのがこれまでです。

 

この大変な時期を改革のチャンスだととらえ実行に移せるかどうか、そこに子どもたちの未来がかかっています。

 

 

何も変わらない学校教育

 僕は、10年ほど前に学校の現場からは離れ、自分のやりたい教育ができる環境を自ら作り、教育活動をそちらで続けていますが、教員を辞めた理由は、変わらない学校体制に愛想をつかしたからです。

 

「こうした方が良くないですか。」

「問題ないからこのままで。」

 

「ここはおかしいんじゃないですか。」

「今までずっとしてきたことだから変えられない。」

 

変わらないことを良しとする学校の体制。

それは、昭和の時代から変化のない学校運営の在り方を見ても、わかるかと思います。

 

参観日にお子さんの授業を見にいって、思わないでしょうか。

自分たちが学生だった頃と、何も変わっていないということを。

 

僕は、昭和後期の人間ですが、そのころと比べても、やっていることはほぼ同じです。

時代の変化と共に学習道具は多少効率よくなってはきているけれど、習っている大まかな内容や方法はさほど変わっていません。

 

「いやいや、指導要領は変わっています」なんて言っているお役人の方がいたら、是非とも一か月ぐらい、学校訪問をしてみてください。(1日や数日だと、現場の方が、いろいろと準備してしまいますので。)

 

何も変わっていませんから。

 

  

4月のままでも問題はない

 変わらなくていいものもあります。

変えないといけないものもあります。

これを決めるのは、ただ一つ、「教育の意義は何なのか」ということに尽きます。

 

僕は「温故知新」という言葉をモットーとしていますが、最終目標を見定めてから、今の体制で変えない方が良いもの、変えた方が良いものをちゃんと考えていかなくてはいけません。

 

しかし、今の学校教育にはその考えはありません。

そもそも、未来への指針というものがないのです。

 

サービス業になりさがった今の学校教育は、目の前にいる子ども、さらにいっちゃうと保護者のために学校を運営しているというのが現状です。

 

時代の流れに身を任せ、流行りものに食いつくのではなく、永久不変のものをベースに、時代に沿った教育と未来へ向けての教育を構築していかなくてはいけません。

 

9月スタートというのは、その一つのきっかけとなると考えています。

 

もちろん、4月スタートのままで、今年一年間を捨てたとしても、社会にはそんなに影響はありません。それは、学校教育が、そこまで社会にあまり貢献していないからです。

 

考えてもみてください。

小学校や中学校で習ったことを、今に生かしている人がどれだけいるでしょうか。

今の保護者は、中学校の学習を子どもに教えられない人が多いそうです。

モラルについてもしかり。

 

義務教育の功績なんてそんなもんです。

 

学力が6割にも満たなくても、問題なく卒業し、高校や大学も、全員が進学できる時代の昨今、別に1年ぐらい勉強しなくても、社会には大した影響はありません。

大学生なんて、3年も4年も勉強してませんから。

 

個人個人の将来には多少影響があるかもしれませんが、それは個人の努力で何とでもなります。もともと学校は、個人の将来の保障などはしてませんからね。

 

 

今日のまとめ

 本題ですが、9月入学は一体、誰のためにやるのでしょう。

 

いろいろと、いいこと悪いことはあるかもしれませんが、ここで変わることが、今の教育にさまざまな疑問を投げかけ、そこから大きな改革につながることを期待しています。

 

ここで変われないのなら、はたまた変えられないのなら、日本の教育に未来はないでしょう。 

 

実施については、さまざまな社会的問題もあるとは思いますが、それは号令さえかけてしまえば何とかなると断言します。

今の日本にそれぐらいの適応能力があることは、信じていいのではないでしょうか。

 

今のこの状況より大変なことがあるでしょうか。

否!

 

学校改革はいつやるの?

今しかないでしょうね。