かぐらいっきょうの『ここが変だよ日本の教育』

日本の社会や教育で疑問に感じていることをちょこっと書いたブログ

「素質があるかどうかを聞いてくる親と ②つの能力」の巻

 勉強やスポーツを教えていると、時々、「うちの子は、素質(才能)がありますか?」と聞いてくる親がいます。

 

 だいたいそういってくる親の子に素質は「ない」のですが、大成する可能性がゼロではないと思いたいのが親でしょうから、一応、優しさをもって、答えは濁すようにはしています。

 

 なぜ「ない」かというと、素質がある子というのは、素人が見てもわかるくらい、飛び抜けてすごいからです。面識のない人に「〇〇君、すごいですね。」と言われたら、可能性はあるかもしれません。(知り合いの人は世辞が入るので参考になりません。)

 

 そういった子は、環境さえあれば、指導者が誰であれ、その才能を自分で開花することもできます。ですので、現時点でその片鱗が見えないのであれば、可能性は・・・

 

 ただ、勉強やスポーツには、素質以外に「二つの能力」が影響するので、そのあたりを今回はテーマにします。

 

 

 一つは「素直さ」です。

 

 これは、「教師や指導者に対して」と言うことではありません。

 

 学習方法や教科書通りに、ということです。

 マニュアル通りにパフォーマンスができれば、人並み以上の結果が必ず出ます。

 しかし、「言うは易し」で、そう簡単にはいきません。

 

「必ずこうしなさい」と具体的な方法を指導しても、「ここは出るから覚えなさい」と誰でもできることを指示しても、ほとんどの子がその通りにはできません。というより、しません。

 

 それを意識してしようとする子、そう、素直な子は、自分のもつ能力を十分に発揮できる可能性を秘めているので、学習能力としては素質ありと言えるかもしれません。

  

 では、「素直さ」がない子はどうするのか。

 

 例えば、学習においては、小学校や中学校の勉強は、内容的には簡単なので、きちんとやらせれば、だれでもできるようになります。

「きちんとやらせる」

そうです。強制的にやらせるしかないとなります。

  

 

  もう一つは、「努力を続けられる能力」です。

 当たり前ですが、努力は決して裏切りません。

 

 そうでもないという人がいるかもしれませんが、それは人と比べているからです。「素質」と「努力」と「結果」の相対関係は、人それぞれですので、過去の自分と努力後の自分を比較するようにしましょう。

 

 勉強は努力すれば必ず結果が出るのは論じるまでもないですが、スポーツでも、個人の能力の限界までは努力次第で行けます。

 

 勝負事では、素質がないものは、素質がある人の何倍も努力する必要がありますが、それもせずに高望みしてもそれは無理というものです。

 素質あるものが怠けて、素質ないものが努力を惜しまなければ、そこに勝機が生まれるという仕組みですので、努力を続けられる能力も、学習能力としては素質だといえます。

 

 では、努力を続けられる能力がない子は、どうすればいいのか。

 答えは、先程と同じです。

 

 

「素質(才能)がなければ、素直に努力し続ける」

 まあ、それが唯一無二の「大成への正道」ということです。