「家庭の経済力と子どもの学力の比例関係を解消するには?」の巻
なぜか、「家庭の経済力」と「子どもの学力」を紐づけようとする人が多いのですが、直接的な関係は実はありません。
ですので、この関係を解消するのは、簡単と言えば簡単です。
間接的なつながりを途中で絶てばいいのです。
教育格差を生んでいる最大の原因は、公教育の不甲斐なさであり、みなさんが想像している一般的な理由は、ただの後付です。
よく考えてください。
学校の授業や補習だけで、勉強ができるようになれば、塾に行く必要はありません。
一応、公教育は無償ですから、そんなにはお金はかかりません。
さらに、全員にAIのような自己学習能力を身に付けさせれば、先生が使っている指導書を子どもたちに配るだけで、自分たちで予習復習もできますので、これまたお金はほとんど必要ありません。
そんなことは、絵空事だと思う人いるかもしれませんが、それを実行している人は、教育界には少なからずいますし、僕もその中の一人です。
僕は、自分の担当になったクラス(または教科)については、学習習得率80%(個人)を目標にしていて、一学期から計画的に学習を進めます。そのため、各教科のまとめのテストでは、平均で80点を下回ることはまずなく、平均点が90点を超える教科もあるくらいです。
「読み・書き・そろばん」の「読み」は特に重要ですので、国語の新出漢字は年間を通して指導し、その習得率は、クラス平均で90%にも至ります。
あるクラス(35人学級)では、年度末に行った漢字の200問テストで、その平均点が194点でした。もちろん、中にはできない子(それでも85%ぐらい)もいますが、逆をいうと、半分以上の子が200点満点をとって、上の学年に上がったということです。
一般の教員には、不可能だと思っていることは実は可能で、それは、勉強ができるものにしかわからない領域です。
僕は、だれかに勉強自体を教わった経験はほとんどありません。
小学生のころ、中学受験も考えていたので、その対策として少しだけ塾にも行きましたが、その塾は週一回しかなく、自宅学習が基本でした。
算数でわからない問題があったので、数学の先生に質問に行くと、
「君なら解けるから、3日考えてわからなければ、聞きに来なさい。」
と言われ、素直に問題を見つめてたら、2日目に解けてしまいました。
それからは、算数については解けない問題がなくなったので、先生に質問に行く必要もなくなりました。中学、高校では、自分で教科書ガイドを使って勉強するようになり、学校の授業も必要なくなりました。
学習とは、そんなものです。
まず、勉強ができるできないを決めているのは、子どもたちと一番多くの時間を過ごしている、学校の先生の力量です。
もともと勉強があまりできなかった先生は、そのできることに対しての展望すら見えてないので、クラスの子や、教科担任の子、全員をできるようにすることは不可能です。
考えてみてください。
自分で自分を教育できなかった人が、他人を教えることなどできるはずがありません。
せめて頭の中で、シミレーションができる、想像力に長けた人なら、自分の能力を超えた指導もできるかもしれませんが、そういう人も教育界では稀です。
小学校や中学校の勉強は、内容的には簡単なので、きちんと学習をやらせれば、だれでもできるようになります。
しかし、「きちんとやらせる」ことができる教員が、少ないのです。
それが、塾などにいかないといけない現状を作り、塾に行けない子たちが落ちこぼれるという現実を作っているということです。
先日も、近所の中学校の学年末テストの平均点を見せてもらったら、主要教科の2教科で50点を切ってました。この教科の担当教諭は、ホントにプロとしての自覚があるのだろうか。恥を知れ!
塾に行かなくてよくなれば、いいことはたくさんあります。
その無駄なお金と無駄な時間で、もっと違った楽しみに使用することができるからです。
幼少期から、勉強しかしてきていない頭でっかちの大人が、これから多くなるかと思うと、日本の先行きも明るくはないのは想像の範囲です。
もっと、いろいろなこと、特に同世代の友だちとの遊びの中で、教科書では学べない経験積んでほしいと願う今日この頃です。