「大麻は『悪』なのかから考える道徳 その②」の巻
大麻は人を狂わすのか
結論として、現時点では「わからない」といったところでしょう。
ただ、大麻が人をダメにするのであれば、カナダは国家存亡の危機となったといえますが、僕はその可能性は低いと考えています。
よく大麻で逮捕された人のことを例に挙げて、「ほら、人生まっさかさまでしょ。だからやめましょう。」ということを言う大人たちがいますが、それは見せしめ教育であり、道徳教育とは言えません。
厚生労働省のHPに「大麻乱用者による告白」というのがあったので読んでみましたが、大半の内容が逮捕が原因で人生が狂ったというもので、「これは大麻のせいなのか?」と疑問に思う記述ばかりです。
一人目の内容を少し見てみましょう。
・大麻所持で逮捕され、築き上げてきた地位などすべてを失いました。
(ん?もし、逮捕されなければ、築き上げてきた地位はそのままですね。)
・このときは執行猶予判決で、これを機に、大麻と縁を切り、就職してまじめに生活するようになりました。
(ん?そんなに簡単に縁を切れるなら、煙草よりは依存性はないかもしれませんね。)
・大麻を買うために妻に内緒でキャッシングや消費者金融から借金をして買うようになり、最終的にはそれが妻にばれ、離婚する事になりました。
(ん?それって、大麻ではなく借金が離婚の原因ですね。)
・大麻所持で麻薬取締官に逮捕。その結果、婚約は破棄されました。
(これも、もし、大麻が合法だったら、婚約は破棄されませんね。)
・もし大麻と出会っていなければ、もっと幸せな人生を送れたかもしれない。
(もし、今のカナダに生まれていたら・・・。)
これって、個人の問題ではないのか。
おそらくこの人は、大麻と出会っていなくても、不幸な人生を送っていたでしょう。
なぜなら、ルールが守れない人だからです。
「大麻を吸った=人生が狂った」わけではなく、「法を犯した=人生が狂った」わけです。
他にも何名かの告白が載っていましたが、どれを読んでも、身体への健康被害や他者への加害については一言も書かれておらず、結局のところ逮捕されて人生が狂ってしまったという、なんとも説得力のない内容でした。
今回の芸能人の事件もそうです。
長年使用していても誰に害を与えるでもなく、普通に生活をしていたようですし、ただ罪を犯したから人生が狂ったわけです。
大麻が悪なのではなく、大麻を使用するという行動が悪なのです。
煙草所持を禁止にする
大麻と煙草の規制の仕方には、ある意味矛盾が生じています。
この矛盾をなくすためには、大麻の解禁よりは、煙草の禁止の方が無難でしょう。
喫煙家の方には申し訳ないが、僕自身は、煙草にも興味はないので、さっさとしてしまえと思うのですが、前回も書いた通り、税収が大きいので難しいのでしょう。
しかし、政府としては、目先の税収よりも、健康被害による医療費、そして何より、国民の健康に重点を置いてルールは考えてほしいものです。
世の中は金ですが、お金で買えない健康もありますから。
・・・と言ったものの、これも自己責任の話です。
「大麻」から考える道徳
大麻所持の検挙率で若年層が高いのは、若者にとって大麻やドラッグがファッション性を持っているからでしょう。
昭和時代に、煙草を吸う仕草が悪ぶってってかっこいいみたいに思えた、あの感じです。
違法にもかかわらず比較的手に入れやすいモノである以上、最終的には本人の自律性となります。
大麻をゲートウェイドラッグと言う人もいますが、未成年者の観点から考えるとお酒や煙草も同じであることは、以前のブログにも書きました。
きちんとした知識・情報を収集し、きちんとした判断ができる。そして、その判断に勇気をもって従える。そういった思考回路を構築することが道徳教育の役目でもあるのです。
今日のまとめ
ルールとは、常にその理由を考えて作ることが大事です。
日本人はルールを作るのが下手です。
ただただ、「ダメなものはダメだ」というのは、浅はかな考え方です。
よく善悪に答えはないなんて、マヌケな教育者がいますが、教育的な観点から条件付けをしていけば、必ずその答えにたどり着きます。
しかし、大事なのはその答え以上に、答えを導き出す能力を身に付けさせることです。
これが僕がもっとも教育の中で重視している「モラルセンス」です。
まずは学校の先生自体が、この「モラルセンス」を身に付けなくてはいけません。
いや、身に付けた人物を採用するのが、手っ取り早く負のスパイラルを断ち切る方法かもしれません。
となると、採用者のセンスが・・・
先の見えない話でした。