「大阪市のひげで低評価 どう思いますか」の巻
このニュースで、まず言いたいのは、「髭という単語に注目しすぎないで」ということです。
でも、髭から触れていきますが。
大阪市営地下鉄(現・大阪メトロ)の男性運転士2人が、髭を生やしていたことで低評価を受けたとして訴訟をおこしているそうです。大阪地裁は、市に慰謝料などとして計44万円の支払いを命じたとのこと。
うーん、どうでしょう。
髭は、まだダメでしょうね。
まだというのは、まだ市民権を得ていないということです。
もう少しではあると思いますが。
判決理由として、髭を生やすかどうかは「服装や髪形と同じように個人の自由」と言っていますが、公務員でなくても、接客業の職場では服装にしても髪型にしても、そんなに自由ではありません。
「自由は規律の中にのみある」ということを以前、ブログに書きましたが、給料をもらっている以上、仕事場の身だしなみ基準には従わなくてはいけないというのが僕の考えです。
みなさんは、どう思われますか?
もっというと、「髭」うんぬんより、ルールを守っていない時点で、この二人は問題だと考えます。
髭を生やすことが良いか悪いかを自分の考えで決定し、ルールを破り、そのことを正当化しているわけです。
こうなると、全てのルールを自分の判断で守るかどうか決める人ということです。
そんな人の運転を信じることができるでしょうか。
ルールがおかしいというのなら、そのルールを変えることに対し、争っていくことが必要で、ルールを破ってからそのルールがおかしいでは、ルールを作る意味がなくなります。
そして、ルールを破ることに対しては、なにかしらの罰があることも然りです。
僕も公務員でしたからわかりますが、公務員は簡単にクビにならないという甘えがあります。今回も、評価を下げられるだけで自分のわがままを通せるのであれば、それで良しとしたらよかったのでは。
僕が学校の先生になった理由は、これまでのブログで述べてきたようなダメダメ教育を改革するためでした。
学校の様々なことを改革するには、「悪い当たり前」に慣れ浸かった学校の組織に対しても、ある程度、戦っていかなくてはいけませんが、子どもにとっていくら正しいからと思ってしていても、組織の規律を乱すことは必ずしも正義ではありません。
しかし、その先には、子どもたちがいるわけで、組織の変革を待っていては、現在その場にいる子どもたちは蔑ろになってしまいます。
現状に対し強行突破しなければ学校は良くならなかったので、僕は、心の中に常に辞表を用意して改革を行っていました。明らかに学校は良くなっていきましたが、それを評価できない無能な管理職による低評価も、仕方なしと思ってやっていました。
組織で働くとは、そんなもんです。
髭に戻りますが、髭が服装や髪といっしょとなると、金髪、いや、真ピンクの髪で働く公務員、信用できますかね。鼻や眉にピアスをして、刺青を入れた警察官、信用できますか。
そうそう。刺青で思い出しましたが、先日、オーストラリアに行ったのですが、オーストラリアでは、刺青率が高く、入れていない人の方が少ない感じでした。刺青も文化なのでしょうね。余談でした。
みんなと違うことをするのは、ルールの中では自由です。
しかし、みんなと違ったことしたがるのには動機というものがあり、それを実行するには強い意志が必要です。そこには、その人の性格が現れるのです。
それに対し、雇う側が人選するのも自由です。それも忘れてはいけません。
人は見た目が9割なんて本がありましたが、まあ、それも8割ぐらいは当たっているでしょうか。
「服装の乱れは、心の乱れ。」って、学校で学びましたよね。
え?学んでない?
残念な学校だったんですね。