「長財布を持つと金持ちになれると思っている人」の巻
「お金持ちになりたいから、長財布に変えようかな。」
「ふーん。」
知人が本気(マジ)な顔で話しているのを、コーヒーを飲みながら軽く流しました。
少し前にそんな題名の本も流行って勘違いしてる人が結構いましたが、ここにもいましたか。それも今更、このキャッシュレスの時代に・・・
物事の正しさの方向性には、必要条件と十分条件というのがあります。
高校の数学で習いましたよね。
(二次元で考えてもいいですが、今回は一次元で考えます。)
例えば、長財布の話だと、仮に、お金持ちの人は全員、長財布を使っているとしましょう。すると、お金持ちの人(十分条件)→長財布を持っている(必要条件)となります。
今回の場合、残念ながら、この矢印は反対には向きません。
この必要条件、十分条件について考えられない人が、世の中には多すぎです。
例えば、スポーツの一流選手がしている、練習に関係ない習慣を真似する人もいますが、それで一流になれる、もしくは少しでも近づけると思っているのであれば、周りの人が教えてあげましょう。それは、無理です。
「真似をするのなら、努力する姿勢を真似しなさい」と、私は教え子たちに言っています。
いろいろと、あることないことを信じている人が多いのも日本人の特徴です。
風水とか、占いとか、厄年とか、神様仏様とか他にもいろいろありますか。
ダイエット法、健康法、ファッション、コンクール、肩書などなど。
(ぱっと思いついたのを書いたら、ジャンルがぐじゃぐじゃになりましたが。)
これらを信じているのは、理性に乏しいことの証明です。
物事の裏側を見ずに、著名人、有名人、権力者、宗教家、偉そうな人、ずる賢い人、書籍、マスコミなどのいうことを、そのまま鵜呑みにする非スマートな文化が日本にはあることを自覚すべきです。
「フェイクニュース」という言葉が世間をにぎわしていますが、フェイクニュース自体は、別に最近の話ではありません。
そんなものは、インターネットの無かった昔からあります。
雑誌やスポーツ紙などは半分嘘でしょうし、幼い頃にそこそこ信じていた新聞やテレビでも、いろいろなフェイクな実態が明るみになってきています。
ネット情報に限らず、世の中に出回っている情報の真偽は、私たち自身が判断しなくてはいけません。これは、昔からそうです。
間違った情報に騙されないためには、「理の教育」が必要不可欠なのです。
そして、そういった学習は、本来、学校の情報教育の中で行われるはずなのですが、全くできていないのが現状です。
教育は、人が嘘をつくことを前提にしていないからです。
これからの社会の秩序を保つ上で、義務教育での「理の教育」が肝になるのは間違いありません。
話を長財布にもどしましょう。
因みに僕は長財布持ちです。そして、非お金持ちです。
もちろん、簡単にお金持ちになれるのなら、望まないわけはありません。
宝くじに夢を託すこともあります。
宝くじが当たることと黄色は関係ありませんよね。
そんなことは百も承知。
でも、一応、黄色い物に入れておこうかな・・・と思います。人の性です。
欲望の色眼鏡は、理性の管理の上で、かけたり外したりしましょうね。