かぐらいっきょうの『ここが変だよ日本の教育』

日本の社会や教育で疑問に感じていることをちょこっと書いたブログ

「褒めて育てるは間違い?・・・はい。そうです。」の巻

 小・中学校は、そろそろ2学期も終わりですね。

 先週あたりに保護者懇談会もあったと思いますが、保護者の皆さん、どうでしょう?何かお子さんの悪いところを教えてもらえたでしょうか。

 

 先生が良いことばかり言っても、それを信じてはいけませんよ。

 どんなに優等生でも、指導すべき点は必ずありますから。

 

「褒めて育てる」ことが「叱って育てる」ことより良いなどという迷信が、この世の中にはびこっていますが、はっきり言ってどちらも良くはありません。ただ、どちらかというと、「叱って育てる」の方が、子どもがちゃんとした方向に育つ可能性は高いと思われます。

 

 

 ゆとり教育を受けてきた大人を、「ゆとり世代」などと呼んで、世間では散々悪く言っていますが、ゆとり教育自体は、悪役ではありません。彼らを体たらくにした張本人は、この「褒めて育てる」なのです。

 

 ゆとり教育といって各教科の時数や内容が多少減ったところで、社会人としての資質には、なんら影響はしません。ゆとり世代より上の人を見てください。みんな、ぼーっと生きてるじゃないですか。

 

 ゆとり世代が、社会人として使えない問題、それは、全て教育的指導の「ゆるさ」にあります。

 

 学校は、「できないことを教える場所」であるにもかかわらず、子どもたちのできないことには、大人の寛容さみたいなもので目をつぶり、大して素晴らしくもないのに「すごいね」と言って、“いいね”を連発するのです。

 

  いつの頃からか、保護者懇談会でも、その子の学校での悪態を伝えることはやめ、いいことばかりを伝えるようになり、通信簿も悪いことは書かないことになりました。

 

 そんなこんなで、子どもたちは、「僕はすごい」「私はすごい」なんて思い込んで、過大評価のまま人生を突き進んでいき、社会人になってダメ出しをされると、「僕のせいじゃない」「私のせいじゃない」といって人のせいにする人間に育ってしまったのです。

 

 僕は子どもたちにこう教えています。

「自分のできないことをまず認めなさい。そうしないと明日への成長はありません。」と。

 

 教育で大事なのは、「褒める」「叱る」の観点ではなく、「できていないこと」をその子に認めさせ、「できるようになったこと」を大人が認めてあげることです。

 

 最後にある日のある学校の一場面から。 

 

 校長先生が、懇談会の日の職朝でこう言います。

「保護者の方には笑顔で帰ってもらうようにしましょう。」

 

 さらに校長はこう付け加えました。

 

「学校もサービス業の時代ですから。」

 

 終わってますね。チャンチャン。