「国語の授業がダメダメすぎる」の巻
国語の力を伸ばすにはどうしたらいいのか。
これは、今のところ学校教育の永遠の課題となっています。
答えはあるにはあるのですが、現場では、だれに聞いてもちゃんとした答えを持っていません。更に、国語を勉強する理由さえ明確に答えられない先生が多いことには、呆れるばかりです。
早速、国語の授業のダメダメなことを述べましょう。
全くもってずっと疑問に思っているのは、登場人物の気持ちになって話を読み進めるってやつです。皆さんも小中学生の頃にやったのを覚えているでしょう。
物語から学習を始めることは、文章に親しむという観点から大切だとは思いますが、国語を学ぶ目的は、思考の元素である言語の獲得と、コミュニケーションツールである国語のルールを知って、きちんと使いこなせるようにすることです。
国語は教科書さえ読み進めばいいようなカリキュラムになっていますが、それで良しとしている先生は、ほっとけば国語の力は獲得できると考えている無能な先生です。
文学が生活を豊かにするという幻想も、未だに学校の世界では信じられています。
文学への接し方は人それぞれ趣味の話で、今の若者の読書離れをどうにもできないのは、新たな時代の文化の影響であり、漫画が日本文化の代表になったことも文学幻想への問題提起をしてくれています。
要は学校の国語は、時代遅れどころか、ずっと間違い続けてきたのです。
逆にきちんと教えなければいけない文法は、中学校で教えることになっていますが、生徒に理解させることが難しいことから、適当に授業で触って、あとは高校に丸投げしています。
古文について疑問に思った人はいないでしょうか。
そもそも、中学校で古文をなぜ、学習しないといけないのか。
古文の知識などなくても現代社会に影響ありませんし、実生活で使うこともありません。歴史的な理由であれば、カテゴリーは、国語科ではなく社会科ですよね。
生活で必需なのは、とにかくもって文章の内容の読み取りです。
説明書を読まない人がたくさんいますが、その人に理由を聞くと、めんどくさいだけでなく、難しくて読んでも理解できないそうです。
国語の授業がダメダメな理由は、他にもいろいろありますが、一番の問題は、根本的に授業の目的がずれているということです。
どういう学習が、国語の授業でなされるべきなのかをもっと語りたいのですが、話せば長くなるので、またの機会にしたいと思います。