「教育界の禁句にあえて触れていくことの大切さ」の巻
教育界には、口にしてはならない「禁句」というものがいくつかあります。
しかし、教育原理を多角的に見ていくためには、あえて一般的にはダメだと言われている考え方に立たないと、見えない真実があるということも事実です。
世の中には、「本音」と「建前」というものがあるからです。
きれいごとばかりを並べる教育界には、正直、うんざりしていますが、現場で働いている学校の先生方には、いい環境で育ってきている方が多いので、人間の「悪」というものに鈍感な人が多いのも事実です。
大学の教育学部の学生が、生徒指導の授業でこういうことを言いました。
「警察のいらない社会にすることが理想です。」
学生だけに許される発言でしょうが、その発想自体、教育者としてのセンスが疑われるところです。
「いいですね。夢があって。」
懐の広そうに見せている教授はそういいます。
ボーっと聞いていると、なんとなく方向性は間違っていないようにも聞こえますが、この考え方は生徒指導としては完全にアウトです。
まず、この日本において、警察のいらない社会が実現するわけがないこと。
それはなぜなのか。
そして、逆に、警察がいなかったらこの世の中はどうなるのか。
教育ではそういったことを考えていかなくてはいけないということを、この学生にも伝えましたが、どこまで考えが及んだかはクエスチョンマークです。
このように教育の先にある理想と現実がかけ離れている先生は、現場には結構な数います。想像力が乏しく、自分の経験でしか物事が測れないのが原因です。
そして、現実とかけ離れた理想が生み出す思想が、「禁句」を作り出してもいます。
僕が教員になったのは、学校教育の間違った当たり前を改革するためでしたが、議論することも禁じる「禁句」というものに対し、その入り口をこじ開けるということも、学生の頃からずっとやってきました。
しかし、まあ、大学の先生方はもちろん、現場の先生方も全員、目を背けること背けること。
禁句というのは、ある意味、「禁」という文字を使って封印しないといけないほど、奥深い真理が隠れている場合が多いので、触れるのは社会的な立場としては危険なことです。
しかし、人間の本性と教育とは切っても切れない関係にあるので、議論の場においては禁句など作らず、間違っていると思われている考え方にもあえて触れていかないと、子どもたちに対し、きちんとした教育はできないのです。
では、触れるべき禁句とはどんなものがあるのでしょうか。
みなさんも、いくつか思いつくのではないでしょうか。
それです。
その禁句については、またブログ内で少しずつ触れていきたいと思います。