かぐらいっきょうの『ここが変だよ日本の教育』

日本の社会や教育で疑問に感じていることをちょこっと書いたブログ

「なぜ、学校はいじめに真剣に向き合わないのか」の巻

いじめは学校の責任です

 

 いじめ関連のニュースを見ると、ひとりの大人として、そして一教育者として、心が痛くなります。

 

「学校内のいじめはなくせる」というブログを以前書きましたが、なくさないのは学校の先生の責任感がないことの現れです。

 

学校の先生という職業は、子どもたちのために一生懸命頑張るみたいなイメージがありますがそれは妄想です。

 

ほとんどの先生が自分自身や自分の家族のために仕事をしていて、担当した児童生徒の人生に対し責任を感じている先生などほとんどいません。

 

だから、いじめもなくなりません。

 

 

はっきり言うと、どのクラスにもいじめは存在します。

しかし、担任がそう思ってクラスを見ていないから、見えるものも見えないのです。

 

各学校のいじめ対策としては、アンケート調査を行っていじめなどのトラブルを早期発見し解決するというのが大方の傾向です。

 

しかし、そのアンケートに載った時点で、そのクラスや学校の生徒指導や道徳教育に根本的な問題があると考えなくてはいけません。

 

いじめというのは起こってから対策をするのでは本来遅いのです。

いじめに至らないようにする環境作りが実は大事になってきます。

 

 

ニュースになるような内容になると、アンケートで発見するのではなく、ずっとそばにいる担任がその事実を把握できないていないというのが大問題です。(親も含めてですが。)

 

子どもの毎日の表情を見て普段と違っていたら声をかけるとか、休み時間に子どものがどこで何をしているのか大体把握しておくとか、普段からクラスの友だち関係に目を向けておくのは担任の責務です。

  

学校教育の現場は、「子どもの社会」というものを軽々しく考え過ぎです。

  

 

 

先生がいじめに向き合わないわけ

 

いろいろな学校で実態を見てきたのですが、理由は大体似たり寄ったりです。

 

代表的なものを挙げてみると、

①面倒なことに関わりたくない。

②いじめがクラス(学校)にあると自分の評価がマイナスになる。

③多少の人間関係は我慢が必要だと思っている。

④いじめはなくならないとあきらめている。

 

段階的には、こんなところです。

 

 

①の「面倒なことに関わりたくない」という理由。

これが、一番多いパターンですので、今回はそこに焦点を当ててみましょう。

 

 

まず言いたいのは、見ない、もしくは見て見ないふりをする教員の多いこと、多いこと。自分のクラスにはいじめがないと思い込みたいのでしょう。 

 

 

ある学校で、ふと目についた女子グループで、その人間関係に違和感を感じた僕は、その子たちの担任の先生と生徒指導担当の先生に、こう伝えました。

 

「あのグループは、いじめの兆候がみられるので、注意してみておいた方がいいですよ。」

 

僕としては共通理解してもらったものだと、この子たちにもそれなりの注意と指導が入るものだと思っていましたが、そこは浅はかな考えでした。

 

結局、事は起こってしまいます。

 

3学期の職員会議での報告。家庭からいじめの相談があり発覚したとのこと。

おいおい。僕が君たちに警告したのは1学期だぞ。

 

その報告を聞きながら、その先生たちへの怒りと自分がその先生たちを信じて任せてしまった落ち度に、ため息しか出ませんでした。

 

なぜ、僕の警告が生かされなかったのか、それはみなさんの想像の通りです。

 

面倒なことに立ち向かえるのは、教師であるという責任感のみですが、今の時代の教員にそこを問うのは難しいのかもしれません。

 

 

 

いじめの起こりやすい環境

 

クラスにいじめは必ず存在するとはいいましたが、起こりやすい環境と起こりにくい環境があります。

 

まず、いじめが起こりやすさは、学校の荒れと比例しています。

 

先に挙げた学校は荒れに荒れていたので、実際いじめも沢山あったようです。

「先生に相談しても絶対なくならない」という6年生の悲しいセリフを聞いたと、僕に相談してきた先生もいました。

 

学校の校則や学級のルールをブラックなどと称してバッシングする専門家がいてびっくりですが、子どもたちにはできるだけ細かいルールを示して、それを守らせる訓練が必要です。

 

そういったことの延長線上にいじめもあると思ってください。そうすれば、おのずといじめ対策の仕方がわかってきます。

 

 

もう一つの悪い環境は、学級経営能力のない先生の受け持ったクラスです。

 

特に小学校の学級経営は「学級王国」と言われたりもしますが、その王様に子どもたちを統率する能力がないのですから、学級は崩壊し、いじめも起こります。

 

ある学校の職員室で、5年生の担任が自分のクラスの問題児童の指導について、管理職の先生に指摘されたのに逆ギレして、「あの子に何か言うと、私がいじめられるからできません。」と言ったのをきいて唖然としました。

 

「じゃあ、さっさと職を辞せ。」

と、僕が管理職なら言うけど。優しいね。先生同士も。

 

こんなぼろい先生もいますが、学級王国にはいい面もあります。

どんなに学校が荒れていても、自分のクラス内の子どもたちは守れるということです。

 

荒れた学校では、担任次第で子どもが楽しく学校にいけるかどうかが決まるので、保護者の担任への期待はすごいものがあります。

 

以前受け持っていた子の親からは、「今年は〇〇先生になったので安心です」なんて報告も僕のところにちょこちょこ届きますが、そんな学校がなくなってほしいと願っています。

 

 

 今日のまとめ

僕は、子どもたちの人間関係を良くする方法をいろいろと知っています。

勿論、いじめをなくす方法も知っています。

 

しかし、そういったいろいろな実践やノウハウを研修会などで紹介しても、それを理解できる頭脳とそれを実践できる指導力を持ち合わせた先生がいないのにがっかりしています。

 

学校の先生は世間知らずといわれますが、どうしても経験則で教育理論も考えがちで、社会における人間の心理と真理を理解しようとしません。

 

いじめに対しても、「ダメだ」としか言わない先生が多いのですが、それではなくなりません。

いじめに対して、まずは「人間の持つ本能的な行動」だと認識しましょう。

 

本能を理性で律することのできる人に育てるのが学校教育の目的です。

 

いじめは悪だとするから、生徒も先生もできるだけ隠そうとするので、逆に「いじめは必ず起こるもので、それはみんなが楽しく生活するためにはなくさないといけないものだ」という共通認識のもと、もっと外に出しやすい環境にしていくことが大切です。

 

そして、学校は、いじめを教育課題として位置づけ、もっと真剣に向き合うべきなのです。