「教師同士のいじめに騒いでいる不思議?」の巻
学校の職員室いじめの状況
最近のマスコミで、教師同士のいじめが取り沙汰されていますが、教師間のいじめなんてどこにでもあります。
学校の先生なんだからいじめなんてないでしょうと思っている人がいれば、それは想像力が乏しいとしかいいようがありません。先生も普通の人間です。
僕が赴任した学校でも、ある程度の規模の学校ではいじめがありました。
ある職場は、職員室でのリーダー的な先生がいじめの主犯格だったため、だれも何も言えない状況。
ある職場は、校長のお気に入りの先生がいじめの張本人だったため、これまた誰も文句を言えない状況。
先生間のいじめは、女性教諭や女性っぽい男性教諭が主犯格になる傾向がありますが、これはいじめの中でもポジショニングという種のもので、子どもも大人もパターンとしては同じです。
逆に男性教諭に多いのは子どもへのいじめで、これまた心理学的には理由がありますが、今回はスルーで。
教師の資質といじめ
教師間のいじめというのは、教育を司っている人間としてやってはならないことだと思いますが、教員採用試験でそのような人間性を確かめる術はないため、意地悪な人も採用されてしまうのは仕方がないことなのかもしれません。
とはいえ、今回の事例は度が過ぎています。(ニュースの内容程度しか知りませんが)
「いじめる」という行動に至る人間性は、どう考えても教師としては失格ですので、辞めてもらわないとだめでしょうね。
そして、周りの先生たちもいじめの事実を知っていたにも関わらず、自分たちに火の粉が降りかからないように、そのいじめられている先生を助けようとはしなかったのですから問題です。なんと情けない先生たちか。
この学校の先生たちには、「正義」という概念がなかったのでしょうか。
子どもたちには、「正しいと思うことを勇気をもって行いなさい」と教えているはずです。
今回のいじめの黙認も、一般的ないじめと構図はいっしょですが、それを打破できる人間がその職場にいなかった、権力をもつ人の間違いを「間違ってます」と言えない現状、今の日本の教育界の問題であり課題です。
教師は聖職なんて言われていたのは大昔の話で、今や誰でもなれる職業です。
高い理想を掲げているわけでもなく、高い知能と指導力があるわけでもない、ごく一般の人がなっているわけで、そこに正義を求めても無理なのかもしれませんが、やはり残念なことです。
教師も普通の人であるという事実
僕は、いろいろな学校で、職員室いじめとも戦ってきましたが、子どものいじめと同じで、いじめの矛先は、かばった先生にも向けられますので、他の先生たちは知らん顔です。
結局のところ、正義だ道徳だなんてことを考えて生きている先生はほとんどいないのです。
僕は、いじめに対して撥ね返すだけの能力があるので、そのいじめの主犯格の先生には倍返しにしてやり、校長にも「(職員室の)このいじめの状況が続くのなら、黙ってはいませんよ」と意見したら、次の年に異動になりました(笑)。
マスコミでは、事件になるようなことしか学校のブラックな部分をピックアップしないが、まあ、現場にいるといろいろなの先生同士の醜い部分も見えてしまうのです。
学校の先生といえども、所詮は普通の人間なのです。
今日のまとめ
もし、教師同士のいじめがないような教育界になれば、子どもたちのいじめももっと少なくなることでしょう。(校長や教育委員会、その他教育機関からのパワハラも含めて。)
そうならないのは、教育現場にモラルセンスのある教師が圧倒的に少なすぎるのです。
学校における問題の全ては、教師の資質の問題です。
そのあたりをきちんと判別できる「新たな教員採用試験」を検討していかない限り、この問題は永遠になくならないのです。