かぐらいっきょうの『ここが変だよ日本の教育』

日本の社会や教育で疑問に感じていることをちょこっと書いたブログ

「小学3年生でひらがな、カタカナが書けない不思議」の巻

 小学3年生の担任をした時に、漢字の宿題を出すと、ある保護者がこんなことを訴えてきました。

 

「うちの子は、まだ、ひらがなやカタカナがきちんと書けません。なので、この漢字の宿題は、この子にはできそうもないのです。先生、どうしたらいいでしょうか。」

 

「それは大変だ」となりそうですが、まあ、ひらがなカタカナが書けないこと自体は大したことないので、

「大丈夫です。心配しないでください。私が責任をもって書けるようにしますから。」

とお応えしましたが、ここで問題視しなくてはならないのは、その子の学力ではなく、前の担任の先生の指導力です。

 

 

 なぜ、ひらがなやカタカナが書けないまま、ほったかしにしていたのでしょうか。

 

 このままだと、この子は、国語ができないだけでなく、他の教科の学習にも悪影響が及びます。

 

 系統的な教科は、一度つまづくと、どんどん落ちこぼれていきますから、この子の人生をも左右する問題です。それが、小学1、2年生の段階なのですから、大問題です。

 

 

 僕は、この子に対し、休み時間や放課後を使い、マンツーマンでひらがな、カタカナを教えつつ、漢字も自分自身で家で学習できるように指導しました。

 

 その結果、2学期には他の子と同等程度の文字力になり、3学期には、業者の漢字テストで100点を取れるほどになりました。保護者の方も大変喜んでおられました。

 

 

 文字は国語の根幹ですので、きちんと教えることが必要です。

 

 僕のクラスの漢字の習得率は書きで90%以上は達成します。

 最高では驚異の97%を記録しています。

 (「読み」ではありません。「書き」です。) 

 なぜ、そんな数字をたたき出せるのかは、またの機会に書きますね。

 

 

 国語科と算数科といった、全ての学習の基となる教科については、各先生に指導力があるかないかを、管理職はきちんと調べないといけないと思います。

 

「担任は運だ」とよく言われますが、できる先生とできない先生の差が大きすぎます。

 やはり皆がある程度、同じレベルの教育を受けられるよう、結果を重視したシステム作りをしていくことが本来は必要です。