「道徳教育は 心の教育ではない」の巻
道徳の教科化がされたみたいですが、学校における道徳教育とは、はたしてどのようなモノなのでしょうか。
ここで、世の中の誤った認識を一つ挙げるとすると、「心」と「道徳」が何か同じモノのように捉えられていることです。
今から十数年前だったか、「心のノート」なるものが、学校で子どもたち全員に配られました。内容はいかにも人間社会の本質がわかっていない連中が考えそうなもので、ご丁寧に使い方まで教えてくれます。
ネーミングに「心」が付いている時点で、方向性の間違いを露呈しているのですが、僕は、この意義が理解できず、ほぼほぼ使わず仕舞いでした。
道徳の副読本の使い方も、間違っている先生がたくさんいました。
国語科みたいに「登場人物の気持ちになって」、みたいなことをしている授業もよくありますが、ホントに意味のない授業です。道徳は情操教育の場ではありません。
結論を述べると、道徳教育とは「行動学」であって、「心理学」ではないということ。心ではなく、頭で考えて、どう行動するか、それを子どもたちに指導する場ということです。
心と全く関係ないとは言いません。
道徳の中の一つの要素と考えるとわかりやすいでしょう。
例えば、自分の心の中にいる、悪魔をどう抑えるかとか、悪い心の人たちのいる世の中でどう正義を貫いていくかなど、人の心と正邪善悪の関係を考える時間でもあるでしょう。
行動を制御しているのは理性であるのが理想ですが、感情に流されて行動している人も多いのが現実です。
心ってどこにある?と聞くと大半の子が、心臓のあたりを指します。
それが、これまでの日本の道徳教育の失敗であり、モラルセンスのない大人が多い理由です。
・・・と、話がどんどん膨らんでくるところですが、今回もこのあたりで失礼します。