かぐらいっきょうの『ここが変だよ日本の教育』

日本の社会や教育で疑問に感じていることをちょこっと書いたブログ

「虐待としつけの違いがわかりますか」の巻(前編)

「かけ算と九九の違い」「体罰と暴力の違い」に続き、「違いシリーズ第3弾」です。

 

 昨日、テレビを見ていると、ある報道番組で「虐待」をテーマにしたコーナーがありました。

 

 前ふりとして、江戸時代に日本を訪れた外国人の記録を紹介していました。

「日本では子どもを育てるのに懲罰ではなく言葉で戒めている」「子どもを打つ叩く殴るといったことはほとんどなかった」というものです。

 

 そして、「なぜ(その)日本でいま、子どもへの虐待が?」と繋げていくのですが、物事をすぐに斜に見る性格の僕は、ここでおそらくほとんどの人が素通りする観点への疑問が湧いてきました。

 

「なぜ、その外国人の話を鵜呑みにするのか?」ということです。

 別の機会にも言っていますが、いわゆるメディアの理論の浅はかさへの疑問です。

 

 その番組では、おそらく江戸時代の藩校であろう絵が映っていましたが、ここで、今現在の学校の参観日を思い出してください。

 

 参観日、保護者が見ている前で、先生が生徒をビシバシ叩いているところを見たことがあるでしょうか。「〇〇くん、きちんとしなさい。」と先生が睨みつければ、生徒はきちんとします。さらに、そう先生に注意されただけで、家に帰って親にも叱られる訳ですから、子どもたちは、参観日となるといつも以上にきちんとします。(叱らない親も増えてきているようですが)

 

 もちろん、偉い方々の訪問がある場合や研究発表などの場では、先生や場の緊張感を生徒も感じているので、空気の読める子はきちんと優等生を演じてくれます。そして、その授業で生徒に懲罰を加える先生などいません。

 

 それは、江戸時代も同じでしょう。外国人のお客さんがいる前で、子どもを殴るなんてことをするとは到底思えません。

 

 番組では、次に、江戸時代の子どもたちが遊んでいる様子を描いた絵が出てきます。

 では、今の時代、公園などで子どもを叩いているシーンを見かけるでしょうか。

 

 日本人は、人前では、できるだけきちんとしようとする民族です。

 国民気質というものは、江戸時代も今もそんなに変わらないでしょう。

 人前で大声を張り上げて子どもを叱ったり、ましてや叩いたりすることを日本人はあまりしたがらないのです。

 

 さらに、我々日本人同士ですら、家庭内のしつけの様子を見ることなどできないのに、外国人が、子どもをしつけているところなど、見る機会はないと考えるのが普通です。

 

 ですので、この「江戸時代に日本を訪れた外国人の記録」があたかもそうであったかのように理論を始めているところに疑問が湧くのです。

 

 

 ただ、江戸時代という時代背景を考えると、叩かなくても子どもをしつけられた雰囲気があったことは想像できます。

 

 身分制度の厳しい中、身分の高い人の言うことに反抗したら、一家一門、大変なことになりますし、下手したらその場で切り捨てられる可能性もあります。今の政府の忖度問題にも似ている感じがしますが、言葉以上に目を見ただけで戒めることも可能な時代です。

 

 先生はとても偉い存在なので、藩校で子どもたちが反抗することなどなかったでしょう(ダジャレ入り)。叩かれる以前に、そのまま、学校を辞めさせられる可能性もありますから、先生には絶対服従です。そして、子どもたちにとっては、親も絶対的存在です。飯を食わせてもらってますから。

 

  日本人の親や大人のしつけは、今も昔もそんなには変わっていない、いや、今の大人の方が優しいと思うのは僕だけでしょうか。

 

 だから、「なぜいま虐待が?」の流れはおかしいのですが・・・

 

 あれ?

 

 今回のテーマは、虐待としつけの違いについてでした。

 

 変なところが気になって、字数もかなりオーバーしてしまったので、次回に「つづく」とします。