「ボランティア活動が評価されるおかしな国」の巻
「ボランティアには参加した方がいいですか?」
受験生の子が、僕にこう尋ねました。
「そだね。しておいた方がいいね。」
今や、こんなことを聞かれても驚きもせずに即答しますが、初めてこの質問をされた時は、やはりショックでした。
子どもたちは、ボランティア活動を評価をもらうため(受験のため)の活動だと捉えているんだと。
ボランティア(活動)とは、そもそも自発的に他人や社会に奉仕する活動のことを指し、奉仕とは、報酬を求めず、他の見返りも要求しない労働を指します。
人によりけりですが、誰かに褒めらたいからやっているのではないと思います。
しかし、この「ボランティア」という言葉は、日本や欧米ではとても素晴らしいことのように扱われ、なぜか評価の対象になってしまっています。困った人を助けたり、みんなのために活動したりすることは、お国が違えば、みんな、当たり前のこととしてやっています。
今年は、災害の多い年でしたので、「災害ボランティア」という言葉も、よく耳にしたことでしょう。
僕も、地元のボランティア活動に参加しましたが、「ボランティア」という言葉をわざわざ使っている人をみると、何か特別な意識を感じるので、僕は「ボランティア」という言葉を極力使わないようにしています。
そこに落ちていたごみを個人的に拾うのと、みんなでゴミ拾いをする活動に参加するのと、どこが違うのだろうか。学校では、後者を評価して、前者は評価しません。
人のために何かできることをすることは、社会では当たり前のこと、と教えるのが、教育の役割ではないでしょうか。
先日、ボランティアに参加するという中学生に、僕から逆に聞いてみました。
「それって、受験(内申)のため?」
その子は苦笑いして、
「はい。そうです。」
と答えました。これが、日本のボランティア教育の現状です。