「選抜高校野球入場行進曲に世界に一つだけの花?から考える競争教育」の巻
春の選抜高校野球が始まりました。
毎年、行進曲が話題になりますが、今年は、「世界に一つだけの花」と「どんなときも。」だそうです。
この曲の選曲には、はてなマークが点灯する人もいると思います。
「ナンバーワンにならなくてもいい?」ということですね。
春の選抜は、県でナンバーワンの高校しか出らないわけではないようですが、やはり万年一回戦負けの高校が出られるところでもありません。
高校球児、いや少年野球の子どもたちも含め、まずは、甲子園に行くために頑張っていると思います。みんな、県下ナンバーワンを目指しているのです。
さらに、甲子園に出た高校、どの学校も優勝を目指して頑張っているのに、なぜ、この曲を選んだのでしょうか。敗者への慰めか。全くもってマヌケな選曲です。
ゆとり教育が始まったころから、学校内での競争教育をやめようなんて雰囲気も出てきて、運動会でも、徒競走なのにみんなで並んでゴールとか、障害走でもくじ引きみたいなことをやって全員に一位になれるチャンスをとか。
テストなのに、点数をつけない、順位をつけないなんてことも未だに行われています。
それで、自分の実力の程度が自覚できるのでしょうか。
それで、目標をもって努力する心が育つのでしょうか。
当時、強烈に感じた疑問は、しっかり現実のものとなってしまいました。
学校は、レクリエーションの場ではありません。立派な社会人を育てるための教育機関です。社会に出れば今の世の中は資本主義、競争は必然です。
だから、逆に意図的に競争をさせ、自分の実力を自覚させ、そして、それに対して努力をさせ、努力は裏切らないことを教えることが、学校教育の役割だと考えています。
話は戻って、「世界に一つだけの花」です。
教育的な立場から、この歌の歌詞を少し斜に見てみようと思います。
花屋の店先に並ぶこと自体、ごまんとある花の中で、「美しさ」という競争を勝ち取っているのだということを考えたことはないでしょうか。
その中でも、カスミソウのように、主役になれない花があったり、少しでも見栄えの悪い花は処分されることがあったり、花の世界も大変です。
品種改良もされ、常に注目度ナンバーワンの花になりたいと頑張っています。(農家さんが)
もらってうれしい花ナンバーワンは、やはり「バラ」だそうです。
そう、みんなバラを目指しているのです。理由は、単純に売れるからです。
人は生まれてきた時点で、オンリーワンです。
だから、オンリーワンは、世間からみれば「普通の人」だということです。
スポーツの世界での「夢」といえば、やはり「トップアスリート」になることですので、オンリーワンではダメなのです。
ある程度成熟した大人は、オンリーワンといって自己満足の境地に向かっても構わないでしょう。自分の実力も自覚し、夢を追うこともあきらめていますから。
子どもたちは、未知なる可能性を秘めている・・・と信じたいものです。
別に、歌詞に文句を言っているわけではありません。
ほとんどの人が、ナンバーワンにはなれないので、この歌詞に慰められた方も多いでしょう。ただ、この歌を作った人も、歌っている人も、業界ではナンバーワンレベルの人だということを忘れているのではないでしょうか。
とにかく、この曲を甲子園に絡めてきた選者に文句を言っているわけです。
なめてるのか、スポーツの世界を。
僕は、体育教育が専門ですが、野球にはあまり興味がないので、高校野球も観ないのですが、若者が頑張る姿はいいなと思います。どの高校も、出場するからには、やはりナンバーワン(優勝)を目指して、頑張ってほしいものです。