「学校の先生の子どもに好かれたいは問題」の巻
先生の「子どもに好かれたい」は問題
職業柄、学校の先生には「子ども好き」の人が多いようです。
情熱をぶつける相手は子どもたちですから、子ども好きに越したことはありません。
中には、「子どもはそんなに好きではない」という人もやってますが、それはそれで問題ないでしょう。仕事をきちんとしてくれればいいことです。
ただ、逆に「子どもたちに好かれたい」と思っている先生は問題です。
ここで、「I think so.」の人は、教育というものをわかっている人です。
実は、この「子どもに好かれたい先生」たちが、学校をぼろくしています。
なぜかというと、好かれたい感情は、好きになってくれた児童生徒と嫌われているだろう児童生徒に対しての差別、贔屓を生み、平等な教育的指導を邪魔します。
また、特定の子どもに好かれたいとか、人気取りのために、厳しい指導ができなかったり、ころころと態度を変えたり、正義を捻じ曲げたりと、指導者側の態度に悪影響を及ぼします。
だから僕は、好き嫌いという感情自体を教育現場に持ち込まないようにしています。
子どもに好かれたい先生は多いのか?
「学校の先生は、どうも子どもに好かれたいらしい。」
僕がそのことに気が付いたのは、ある学校で、No.3に呼び出されて、こう言われた時です。
「かぐら先生は、少し目立ちすぎかな。人気取りもいいけど、他の先生たちもみんな、子どもたちに好かれたいと思っているので、あまり目立ちすぎないようにね。」
僕が人の中で目立つのは、生まれつきです。変わりモノなので。
ですので、「目立たないように」は無理ですが、驚いたのは目立ってはいけない理由です。
人気取り?
好かれたい?
まず、その学校で上から注意されるほど、また、他の先生に羨ましがられるほど、子どもたちに人気があったことを僕自身は知りませんでした。
そういえば、学生の時の教育実習でも、一緒に行っていた同級生にこう言われました。
「クラスの生徒に、かぐら先生が(うちのクラスに)来てくれたらよかったのに、と言われた。ショック~。」
なぜか、「ごめん。」と謝ったが、それも僕のせいなのか。
まあ、この同級生も、子どもたちに好かれたいタイプなのでしょう。
僕は子ども相手の仕事をやっていて、一度も子どもに好かれたいなどと思ったことはないので、そんなことを大の大人が、それも教育者が気にしてるということがショックでした。
教育とは、基本的に子どもたちの嫌がることをさせることです。
勉強もみんな嫌です。
生徒指導もみんな嫌です。
嫌でもやらないといけないのです。
それがより良き社会を作ることにつながるからです。
教育者としてやることをやって人気が出るのはそれはそれで悪くはないですが、大義の前では子どもに好かれるかどうかなど、どうでもいいことです。
それに赴任した学校によっては、子どもたちに嫌われていた学校もありますので、その時はたまたま相性の良い学校に行っただけでしょう。
人気・不人気は子ども次第
僕は、新しく行った学校では必ず新任のあいさつで、子どもの気持ちをつかむために宙返りをします。
これで、子どもに自分の名前を覚えてもらいます。
「バク転先生」(正確にはバク宙なんだけど)なんて、あだ名のついた学校もありますが、高学年の男子や低学年の児童にはインパクト絶大です。
しかし、これは、別に人気取りのためにやるのではなく、たくさんの子どもに存在を示すことにより、今後の生徒指導をしやすくするためです。
全校児童の名前もできるだけ覚えます。
それは指導する時に、名前を呼んだ方が、その子の心に響くからです。
僕は人の名前を覚えるのが苦手です。
なので、1000人規模の学校になると全員は無理ですが、半分ぐらいの子、特に問題児童は、頑張って覚えます。
そして、気になった子にはどんどん声をかけます。(ほんとんど注意ですが。)
それで、子どもから支持されているのもあると思います。
ただ、学校が崩壊しているような学校だと、子どもたちに総スカンされた経験もあります。 同じことをやっても、嫌われる学校もあるということです。
子どもたちがわがままを許され正義と敵対しているような学校では、僕は正義を司るただの厄介者ですから、そういった子どもたちに好かれることはありません。
僕は、どんな学校だろうとスタンスは変えないので、中にはウェルカムでない学校もあるのです。
子どもに嫌われる先生はいい先生?
子どもに嫌われていると聞くと、いかにも悪い先生のようにイメージする人もいるかもしれませんが、実はそれは間違いかもしれません。
僕自身は、児童生徒に人気のある学校と、人気のない学校がありました。
人気のある学校は、ある程度、学校の秩序が守られている学校で、人気のない学校は、ほとんど崩壊している学校です。
乱れた風紀を正すには、積極的な指導が必要で、そこには子どもたちのストレスがかかります。なので、「この先生嫌い。」となるのです。
子どもたちの好きな先生の一番は、「優しい先生」です。これは、性格が優しいの意味ではなく、自分のわがままを聞いてくれるといった意味の「優しさ」です。
だから、優しい先生のクラスは、かなりの確率で荒れます。
学級経営の大事なことは、しめる時にはきちんとしめることで、「怖い時には怖いが、普段は優しい」が、子どもたちからのベストな評価でしょう。
正しいことをしている人は、悪いことをしている人には嫌われます。
生徒指導とは、子どもの悪いところを正さないといけないので、基本的に嫌われ者になる可能性が高く、やりたがらない先生が多いのが問題です。
今日のまとめ
僕は、人があまり好きではありません。
「それなのに、なんで学校の先生になったの?」
友人には不思議がられることもあります。
しかし、それだから、きちんとした生徒指導ができたのかもしれません。
目の前の子ども好かれようが嫌われようが、教えることはきちんと教えることができないと、教育のプロとは言えません。
「人類は教育によって人間になる。」
子どもたちがちゃんとした社会人になるには、きちんとした教育が必要です。
そこには、好きとか嫌いとかそのような感情ではなく、理性が大事です。
先に述べた先生たちは、子どもたちにとっての良い先生になろうとしてますが、それが間違いなのです。
子どもたちにとってではなく、社会にとっての良い先生でなくてはいけません。
「嫌われてもやることはやる」
それぐらいの覚悟をもった人が、学校の先生にはなってもらいたいものです。