「ネコ同士の喧嘩を止めに入って 自分が獣だということを思い出した」の巻
「今日から俺は」
昭和40年代に生まれた僕は、ツッパルことが男の勲章みたいな生活を送っていました。とりあえず、目があったらイチャモンをつけ、自分の歩く前に人がいたらドツク。そういう時代です。
昨日、ネコが喧嘩をしていたのですが、「フーフー、ギャーギャー」と、かなり激しい喧嘩だったので、止めに行こうかなと近づいていくと、なんと僕の体に異変が。
鳥肌が立ち始め、頭まで毛が逆立ち、武者震いまでするのです。
「これは、僕の中の獣の本能が、戦闘モードに入ってしまったのか。」
現場に近づくにつれ、さらに体はやる気満々。
いやいや、僕は戦う気はありません。
昔、サルのいる島へ彼女を連れて行った時の話です。
お昼時、おなかがすいたので、パンを食べていると、サルが彼女に襲い掛かり、持っているパンを奪って逃げました。
「しまった!」
サルの前で、食べ物を見せることはNGですが、近くにサルの気配がなかったので、油断していました。
しかし、不思議なことに、僕も同じパンを持っていたのに、サルは全く襲ってきません。こちらをじっと見ていますが、近寄る気配すら見せませんでした。
このことを友人に話すと、みんなが口をそろえて「それはお前が怖いからだ。」と言うのです。
ある荒れた学校に行ったとき、廊下いっぱいに歩く悪がき共も、僕が近づくと道をすっと空けました。
学級崩壊しているクラスも、僕が担任の代わりにそのクラスに入ると、みんな普通に授業を受けられます。
ここで言いたいのは、人間も動物の一種だということです。
学校関係の方ならわかると思いますが、生徒指導は基本、男性教諭が担当します。これは、女性教諭には、特に男子が抑えられないからです。
僕がツッパッていた中学生の頃も、女の先生はいじめの対象になっていて、必ず怖い男の先生が助けに来ていました。子どもは、本能で、この大人には逆らえるのか、自分のわがままがどこまで許されるのかを測っています。
学級崩壊しているクラスに、女性教諭のクラスが多いのも、ボスザルになれないことが実は原因です。
人間はいつから、自分たちが動物であることを忘れてしまったのだろうか。
僕の尊敬する故・三宅久之先生が、昔、テレビで言っていました。
「子どもは、きちんとした教育を受けて初めて人間になれる。」
私も同感です。
さてさて、ネコたちの喧嘩ですが、僕が近づいていくと、それに気づいた二匹。一瞬の隙をついて、押されていた猫の方が逃げ出し、無事終了しました。
めでたし、めでたし。