「本当の自由は 規律の中にしかない アフリカ篇」の巻
昨日夕方5時すぎ、教員仲間の集まりがあったので街へ出かけると、警察がたくさん出動していました。どうしたのかと尋ねると、ご想像通り。早速、新成人が暴れたとのこと。
おい、新成人!大人になったとたんに、社会のルールを破るんじゃない!
(自分が成人した時のことは棚に置いておきます)
むかぁーし、むかしのことじゃったぁー。
ある小学校の全校集会で、子どもたちに語れる機会をもらったので、アフリカに行った時の話をしました。
僕が、エチオピアとケニアの国境あたりを旅していた時の話です。
一般の交通手段はなかったので、あるキャラバン隊に同行させてもらい、国境を越えていたのですが、そのあたりは無法地帯。いつ、ゲリラの襲撃を受けるかわかりませんでした。
十数台のトラックで移動。しかし、僕が乗っていたトラックは、あいにくの最後尾。狙われやすい位置です。僕の隣にはライフルを持った兵隊も同乗。危険地帯であるというリアル感が倍増して、ずっと手に汗を握っていたように思います。
この行程では、かる~くトラブルにも見舞われますが、旅行記ではないので、詳しく書きたいのを我慢して本題へ。
そのトラックに乗っていた丸二日、法に守られている日本では、決して味わうことのできない緊張感を味わいました。
そこで言いたい。
我々日本人は、自分たちが「ルールに守られている」ことを知った上で、もっと深く考えていかなくてはならないということを。
「ルールに縛られるのは嫌だ」
若いころ、僕もそう思っていました。
「校則」なんて聞くと、大人でもいい印象を持っていない人が、そこそこいるのではないでしょうか。
必要なものかどうかは、無くしてみた時にわかります。
「無法」がどれだけ怖いか。
日本では・・・と先程言いましたが、実は日本でも結構こけっこー、無法地帯、いや無法分野があります。命を取られるようなものではありませんが。
そういったことも含めて、生徒指導や道徳では、ルールを守る大切さ教えていかなくてはいけません。
大学生の頃、教授に「自由と規律」(池田潔 著)という本を渡され、「これをあげるから読みなさい」と言われました。
先生には、よっぽど、僕が無法者に見えたのでしょう。
先生。キャラ作りとしては、そんな感じにはしてましたが、僕はそんなに悪い人間ではないですよ。たぶん。
みなさん、ルールはきちんと守りましょう!
自分のために。